みなさんが「陰陽師」と聞いて思い浮かべるのは、やはり安倍晴明ではないでしょうか?

陰陽師は安倍晴明だけじゃない!平安時代、晴明の才能を見出した...の画像はこちら >>


2024年の大河ドラマ『光る君へ』ではユースケ・サンタマリアさんが安倍晴明を演じ、話題を呼んでいます。大河ドラマを見ていても、陰陽師が政治に大きく関わっていることがわかりますよね。


しかし、実は陰陽師は安倍家だけではありませんでした。そこで、今回の記事では、陰陽道二代宗家のひとつ、賀茂(かも)家について詳しくご紹介していきたいと思います。

※合わせて読みたい:

得意の術で大活躍!平安時代の陰陽師・安倍晴明はライバル達も実力者揃い
陰陽師は安倍晴明だけじゃない!平安時代、晴明の才能を見出した師匠・賀茂忠行の凄み




陰陽師といえば安倍晴明というイメージがあまりに強いですが、実は陰陽寮(おんみょうりょう:律令制のなかで、中務省に属する機関のひとつで、占い・天文・時・暦の編纂を担当する役所)において先に勢力を持ったのは賀茂家でした。

■賀茂忠行という人物のすごさ

賀茂忠行(かものただゆき)は、平安時代前期~中期にかけて活躍した貴族であり陰陽師でした。醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇に仕えますが、彼は陰陽道の3部門(天文道・暦道・陰陽道)すべてに優れていたことから、天皇から絶大な信頼を得ていたと言われています。

賀茂忠行はなかでも、覆いの中身を言い当てる「射覆(せきふ)」を得意としていました。醍醐天皇からそれを披露するよう言われると、見事中身を言い当て、醍醐天皇から「天下に並ぶもの無し」と称賛されたと言われています。

また、賀茂忠行は安倍晴明の師匠とも考えられています。安倍晴明の才能を見出し、彼に「まるで瓶の水を移すかのように」陰陽道を教えたと言われています。また、『今昔物語集』には、賀茂忠行と安倍晴明のエピソードも収められています。



■陰陽道宗家を二分した賀茂保憲

賀茂保憲(かものやすのり)は先ほどご紹介した賀茂忠行の長男で、彼もまた父親と同じように陰陽道に優れた才能を有していました。昇進も早く、父親よりも位階が上になってしまったときには、父の昇進を願い出た、とも言われています。


賀茂保憲が行ったことのうち、特に重要なものが、陰陽道宗家を二分したという点でしょう。家学であった陰陽道を算数と天文道の二つにわけます。算数を主とする歴道は自身の子どもの賀茂光栄(かものみつよし)に伝え、天文道は安倍晴明に継がせました。

ちなみに、光栄はこのことに関し、安倍氏に宗家の地位を与えることを疑問に思い、晴明と争論したとも言われています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ