平安時代の謎多き女性「常盤御前」の生涯には、乱世を生きる女性のうら悲しさが…
夫・源義朝と幸せな結婚生活を過ごしていたのも束の間に、夫が戦死したことで彼女の人生は急転落。絶世の美女に待ち受ける皮肉な運命とは…?
詳しく見ていきましょう。
幸せな結婚生活と突如訪れる破綻
源義朝の側室だった常盤御前は1159年、「牛若丸(源義経)」を妊娠・出産。牛若丸は、常盤御前と源義朝の2人の幸せを象徴するかのように可愛らしい子供でした。
幸せの余韻に浸り、心の警戒が緩んでいた翌年の1160年。源義朝は「平治の乱」で敗走し、謀反を企てたという謂れなき理由で仲間に殺害されてしまいます。
謀反を企てた人物の妻やその子供として追われる身分となった常盤御前、そして牛若丸を含めた兄弟は京都から大和国へと逃亡。大和国に無事到着したとき、京都に留まっていた常盤御前の実母が捕らわれたという情報を耳にします。
断腸の思いで出頭することを決断した常盤御前は、母の助命嘆願を申し出て、子供の死も見たくないから自分から先に殺してくれと懇願したのでした。
この盤面に居合わせたのが「平清盛」です。花の都・京都でも随一と称される美女が自身に媚び諂(へつら)い、この美女を自分のものにできると確信したのでしょう。平清盛は、常盤御前とその実母、3人の子供を条件付きで無罪放免にしたのでした。
「あなた、ごめんなさい…」屈辱の受け入れ
助命嘆願が受理され、ほっと一息ついたのも束の間。常盤御前は、夫の宿敵・平清盛に言い寄られることになるのです。
それは、母と子供の命を盾にした肉体関係の強要といっても過言ではありません。芯の強い女性であった常盤御前は、平清盛の脅しに屈することはなく無視を貫きました。しかし、あまりに粘着質な平清盛のことを母親に相談したところ、妾になることを提案され、渋々受け入れることになります。
鎌倉時代の書物「平治物語」によると、この後に常盤御前は女児を1人出産していることが判明。
今回紹介したのは、絶世の美女として平安時代の京都を賑わせた女性が夫の仇敵に寝取られるというエピソードでした。
当時は略奪愛も当然のように横行しており、特別珍しい状況ではなかったのかもしれません。常盤御前が現代に生まれていたら、また違った人生を歩んだかもしれないと思うと切ないですね。
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