日本最古の長編小説『源氏物語』ですが、煩悩の産物でけしからん!といわれ、それを生み出した紫式部は「架空の話で人々を惑わせた罪で地獄に堕ちた」……という考えが生まれたのです。
■想像から生まれた物語は嘘と同じという考え
眠る紫式部(菊池容斎『前賢故実』江戸末期から明治初期の作)wikipedia
【前編】では、平安時代は「嘘はいけない」という仏教の教えがあり、想像の世界から生み出された文学は「嘘」として解釈されたため、「源氏物語」は煩悩から生み出された想像の産物で、虚構の物語を紡ぎ人々を夢中にさせた紫式部は堕落した人間で地獄に堕ちたという考えが生まれた……ということをご紹介しました。
前編の記事はこちら:
虚構だ!『源氏物語』を読んではならぬ…煩悩の嘘を書いた罪で、紫式部は地獄に堕ちてしまった?【前編】
平安末期の仏教説話集『宝物集(ほうぶつしゅう)』、鎌倉時代中期の説話集『今物語』にもそのような記述が残っているそうです。
『今物語』には「作り物語の行方」という章があり、ある人の発言で「源氏物語は事実ではなく、あだめいた(なまめかしい)ことを書いているので、紫式部はあの世で灼熱地獄に堕ちて苦しんでいる」とし「紫式部の供養をしたい」と述べる……とあります。
源氏物語と紫式部を供養する「源氏供養」
『源氏物語』第5帖「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった紫の上と、柴垣から隙見する光源氏。
壮大なスケールの作り話である「源氏物語」は罪深く、それを書いた紫式部もけしからんので、地獄で苦しんでいるに違いない……そんな背景から生まれたのが「源氏供養」でした。
源氏供養を題材として、紫式部の救済の思いを込めた「能」の作品も誕生しています。
「源氏供養」のあらすじ安居院法印(聖覚)一行が信仰する石山観音に訪れたときのこと。
ふと背後から呼びかける女性が現れる。
女性は「自分はかつて、石山寺に籠って源氏物語を書き上げたもの。けれども、物語の供養をしていなかったために成仏できずにいる。
女性の望むままに、源氏物語の供養をして紫式部の菩提を弔う法印。
そこに紫式部の幽霊が現れ、感謝をしてお布施を申し出るので、法印は布施の代わりに舞を所望する。
紫式部は「美辞麗句の罪にまみれた自分を、西方浄土へと救ってほしい」と願いつつ舞い、源氏物語への供養を果たして生まれ変われるといい消えていく。
この紫式部こそ「石山観音の仮の姿」であり、源氏物語は人々に世の無常を教えるために書かれたものなのだ……という内容で終わります。
■2000年以上語り継がれ愛されてきた源氏物語
『石山月』(月岡芳年『月百姿』)『源氏物語』を執筆する紫式部wikipedia
小説も映画もドラマも漫画もすべてエンターテイメントとして広く人々に楽しまれている源氏物語も、昔は「嘘」「罪深い」と批判されていた……現代の感覚では理解し難い話です。
当時は、「戒律を破った!淫らな行為を推奨しているとんでもない物語だ!」「こんな物語は読んではいけない」と盛り上がったものの、そうなるとますます読みたくなるのが人情。こっそり読んでいた人も多かったのではないでしょうか。
時の流れとともに、「実在しない人物が何をしようと罪にはならない。よって源氏物語を読むことも問題ない」という意見も登場します。
時代によってさまざまな評価のされ方をしながら、数えられない人が研究したり新たな作品を作ったりしながら、2000年以上の時を経た現代でもその輝きを失わず、愛読され語り継がれている源氏物語。
紫式部は、今頃、望んでいた蓮の花咲き乱れる美しい西方浄土にいて、現代社会を見下ろしつつ、平安時代とはすっかり様変わりしたこの世の中を見つめつつ筆をとっている……そんな姿を想像してしまいました。
蓮の花が咲き乱れる西方浄土のイメージ(写真:unsplash)
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