日本で最も東の端は、南鳥島(みなみとりしま)です。

しかしかつてはもっと東に日本領がありました。


現在はマーシャル諸島共和国に属するミリ環礁(旧称:ミレ島)がそれで、大正8年(1919年)から昭和20年(1945年)まで日本の委任統治領だったのです。

今回はこのミリ環礁の日本統治時代について紹介しましょう。

■ヴェルサイユ条約により日本の委任統治領となる

ミリ環礁は北緯06度08分00秒 東経171度55分00秒に位置しています。

ちなみに南鳥島は北緯24度17分12秒 東経153度58分50秒です。

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南鳥島とマーシャル諸島の位置関係(画像:Wikipedia・TUBS氏)

かつて日本の最東端だった島「ミリ環礁」とは?日本統治時代の歴史をたどる


マーシャル諸島におけるミリ環礁の位置(画像:Wikipedia)

【日本の東端】
ミリ環礁:東経171度55分00秒
南鳥島:東経153度58分50秒
※数値が大きいほど東に位置する。最大値は180度。
※ちなみに経度1度あたりの距離は緯度によって異なり、計算が煩雑なため今回は割愛します。

第一次世界大戦(1914年~1918年)まではドイツの領土でしたが、ヴェルサイユ条約(1919年)によって日本の委任統治領となりました。

やがて昭和16年(1941年)に大東亜戦争(太平洋戦争)が始まると、哨戒圏拡充のためミリ環礁に陸海軍の基地が設営。順次部隊が投入されていきます。

昭和18年(1943年)には海軍第66警備隊(第4艦隊司令部隷下・第6根拠地隊所属)が編成され、万全の体制をもって連合国軍(≒米軍)の襲来を待ち構えたのでした。

■敵中に孤立、飢えや病気に苦しみながら敗戦

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クェゼリンの戦い。
後方との連絡を絶たれたことにより、ミリ環礁の第66警備隊は孤立に追い込まれた(画像:Wikipedia)

……が、米軍はミリ環礁を素通りしてしまいます。

そこに敵がいるからと言って、戦略的に必要なければ律儀に攻略する必要はないからです。

ましてミリ環礁は最東端ということで軍備が増強されており、最大5,756名の陸海軍将兵を抱えていました。

出来れば米軍としてもこんな所はスルーしたかったのでしょう。

米軍は後方のクェゼリン環礁はじめ、北方の島々を相次いで攻略。制海権・制空権を失ったミリ環礁は敵中に孤立してしまいます。

補給や通信が著しく困難となり、栄養失調となった将兵は飢えや病気に倒れていきました。

ちなみに米軍からの攻撃もまったくなかった訳ではなく、艦載機の実戦訓練としてしばしば攻撃を受けたそうです。

ただし本気で攻略しようと思っていなかったことから、昭和20年(1945年)8月15日の敗戦まで、陥落することなく半ば放置されたのでした。

第66警備隊は昭和20年(1945年)8月21日に米軍へ降伏。翌8月22日に終戦の調印を行った後、9月28日から病院船氷川丸(ひかわまる)による生存者2,590名の引き揚げが行われます。

そして昭和27年(1952年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効、日本がこれまで獲得してきた海外領土はすべて放棄されたのでした。


かくして日本の委任統治領時代は終わりを告げます。

■ミリ環礁の戦後・マーシャル諸島共和国の独立

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核実験によるキノコ雲。ビキニ環礁で実施された「キャッスル作戦」にて(画像:Wikipedia)

その後、ミリ環礁を含むマーシャル諸島は昭和22年(1947年)からアメリカの信託統治領となり、ビキニ環礁の水爆実験(第五福竜丸事件)はじめ67回の核実験(1946~1958年)が行われるなど、戦火をも超える悲劇の舞台となります。

いつまでも大国のエゴに搾取されたくない。そんな思いから昭和54年(1979年)には自治政府が発足し、憲法も制定されました。

昭和57年(1982年)にはアメリカと自由連合盟約(コンパクト)を締結、信託統治領から脱却を実現。独立までもう一息です。

そして昭和61年(1986年)にはアメリカとの自由連合盟約国として独立を達成しました。

平成2年(1990年)にはアメリカの信託統治が終了、翌平成3年(1991年)には独立国家として国際連合に加盟します。

平成20年(2008年)にはオリンピックに初出場するなど、国際社会の一員として存在感を示していくのでした。

■終わりに

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マーシャル諸島共和国の国旗(画像:Wikipedia)

今回はかつて日本の最東端だったミリ環礁について、その歴史の一部を駆け足で紹介してきました。

戦時の記録だけでなく、現地の人々や日本人がどのような暮らしを営み、文化を築いていったのかも興味があります。


二度とこの地が戦火に巻き込まれたり、核実験場にされたりしないよう願ってやみません。

※参考文献:

  • 読売新聞大阪本社社会部『遥かなるミレー』新風書房、1994年3月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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