幼い子どもを集め、スパイとして京の都を偵察させていたという話が残されています。
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前編の記事はこちら
不気味すぎる…赤い着物のおかっぱ禿たちが都を監視!平清盛が放った子どものスパイ集団の実態【前編】

■傲慢で傍若無人な人間と記されているエピソード

清盛が心を奪われた若く美しい「仏御前」(探景)
『平家物語』では、天下を掌握した清盛は、傲慢で傍若無人な人間として描かれています。
たとえば……
▪︎祇王という名前の白拍子(平安末期~鎌倉時代にかけ流行った歌舞を舞う女性)を寵愛していたのに、仏御前という若く美しい白拍子に心変わりして祇王を追い出す。
そして、自分で追い出しておきながら「仏御前が寂しがっているから、話し相手になれ」と呼び出し、さらに下座に座らせる雑な扱いをする。
▪︎都を平安京から福原(現在の神戸市)に無理やり移し大騒ぎとなった「福原遷都」の強行。
(わずか半年で頓挫し、源氏の結束力を高めて平家の滅亡を早めたといわれる)
▪︎取り立ててくれた後白河法皇を幽閉
など、さまざまなエピソードが記されています。

『天子摂関御影』より「後白河院」藤原為信 画wiki
妻の弟で平時忠が「平家にあらずんば人にあらず」といってのけるほど栄華を極めていた平家ですが、平清盛はどこかで気弱な部分もあったのかもしれません。
そんな一面が伺えるのが、小さな子どもをスパイ集団として利用していた話です。
■赤い着物におかっぱ頭の集団

京の都に放たれた300人もの赤い着物でおかっぱの禿たちのイメージ
『平家物語』の「禿髪」の第二節に、このスパイ集団に触れた部分があります。
(原文)
その故は、入道相國の謀に、十四五六の童部を三百人そろへて、髮をかぶろに切りまはし、赤き直垂を着せて、召し使はれけるが、京中に滿ち滿ちて、往反しけり。おのづから、平家のことあしざまに申す者あれば、一人聞き出さぬほどこそありけれ、餘黨にふれ回して、その家に亂入し、資材雜具を追捕し、その奴をからめ取つて、六波羅へ率て參る。
されば、目に見、心に知るといへど、詞にあらはれて申す者なし。六波羅殿の禿といひてんしかば、道を過ぐる馬車もよぎてぞほりける。
現代風に意訳すると‥
入道相國(平清盛)の計画で、14~16歳の子どもを300人揃え、髪をおかっぱに切り揃え、赤い直垂(ひたたれ/主に武家社会で用いられた男性用衣服、日本の装束の一つ)を着せた集団を京の都に放って行き来させていた。
その子らは平家の悪口を話しているのを聞きつけると、その家に乱入して家財道具を没収して、その者をひっとらえて六波羅(清盛のいるところ)に連れていく。
「六波羅殿の禿」といえば場所も避けて通った…‥
という内容です。
本当ならば可愛いさかりの14~16歳の子どもたちなのに、皆同じおかっぱにさせられお揃いの赤い着物を着ているという姿を想像するだけで、何やら不気味な感じがします。
300人もの子ども達が表情を消したまま、「ん?清盛さまの悪口を言ってるのか?」と、人々が立ち話をしている後ろにそっと忍び寄ったり、家の外で耳をそばだてたり、勝手に家の中に押し入ったりしている姿を想像すると、子どもだけに背筋がぞっとするようです。
この六波羅殿の禿たちが、宮中を出入りする際は、役人たちも見て見ぬフリをしていたと書いてるので、よほど恐れられていたのでしょう。
■そして「驕れる者は久しからず」…

平家物語図屏風(wiki)
この禿の存在は『平家物語』にしか記述がないそうです。
この子どもスパイに関しては、
▪︎栄華を誇る自信家の平清盛がそんなにせこいことをするだろうか
▪︎権力が増大するほど守りたいとしがみつくからどんなに汚い手でも使うだろう
▪︎お揃いのおかっぱに赤い着物など着ていたら、悪目立ちして逆に警戒するだそう
▪︎目立つ「制服」を着せ都をうろつかせることで、悪口や批判をしたいという気持ちの抑止力になっただろう
など、いろいろな意見があります。清盛は検非違使別当(天皇直属の警察・裁判を司る長官)に就任しているので、子どもをスパイにするなど意表をつく手法を駆使して敵対勢力を調査していたのも、納得できるという説もあります。
一説によると、いじめにあった子どもが親にそれを言いつけて、親が六波羅殿の禿たちに「あそこの家はみな平家の悪口をいっている」と密告したこともあるそうです。
もちろん、その後、この禿たちはどうなったのかは記されていないのでさだかではありません。
「平家にあらずんば人にあらず」とまで誇っていたのを逆転して「驕れる者は久しからず」という言葉が後世まで残ってしまった権力者一族。
己の栄華や権力を守りたいがために行なった手段が、逆に人々を荒ませ世の中を狂わせ支持を失い、結局は清盛の死後あっという間に没落し滅亡した…
と思うと、実に皮肉で、権力者の悲哀すら覚えるエピソードです。
もし、事実なら、いわれるがままにスパイを行なっていた六波羅殿の禿たちは、その後どのような人生を送ったのでしょうか。
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