■運慶とは

運慶(うんけい)は、鎌倉時代を代表する仏師です。仏師とは、仏像を専門に作る彫刻師のこと。
東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)や円成寺の大日如来像を作製したことで知られています。

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ご存じ、東大寺の金剛力士像

その運慶が活躍したのは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけてです。日本の仏像彫刻を語るときには筆頭に挙げられる人物だと言ってもいいでしょう。

その作品の力強い表情と体格、写実的で存在感のある衣文など、確立された独特の作風は、今でも私たちに感動を与えてくれます。

彼は仏師であると同時に彫刻家、すなわち芸術家でもありました。こうした彼の取り組み方と作風は、あとに続く仏師・彫刻師に多大な影響をもたらしました。

現在は、運慶が手がけたと確定している現存作の多くが国宝や重要文化財に指定されており、日本国内のみならず世界的にも高い評価を得ています。

仏像は人々にとって信仰の対象でしたが、運慶の作品によって優れた美術品でもあることが広く認知されるようになったのです。

さて、当時、そんな運慶に作品を依頼すると、そのギャラはいくらくらいだったのでしょうか?

昔の人は今よりも信仰心が強かったので、仏師は見返りを求めないようなイメージがあるかも知れませんね。

ところが、実は運慶が莫大なギャラを要求していたことを伺わせる記録が残されているのです。それは、岩手県平泉で、藤原基衡が作製を依頼した時のことでした。

■莫大なギャラ

平泉といえば、今では金色堂の中尊寺が有名ですが、中尊寺に勝るほどの規模を誇った毛越寺という寺院があります。


伝説の仏師・運慶のギャラは天井知らず!国宝級の彫刻家が求めた報酬は想像以上の莫大さだった!


平泉・毛越寺の庭園

この毛越寺の建立(再建とも)のさい、藤原基衡は、運慶に本尊の薬師如来像と12神将像の製作を依頼しました。その報酬として、基衡が運慶に支払ったギャラは以下の通りです。

・金100両
・鷲の羽100尻
・アザラシの皮60余枚
・安達郡産の絹100疋
・希婦の細布2,000端
・糠部郡産の駿馬50頭
・白布3,000端
・信夫郡産の毛地摺1,000端

どんなアイテムなのか、ちょっと想像がつかないものもあるかも知れませんが、質・量的にかなり莫大なものだったことは想像に難くありません。

実際、現在の金銭価値に換算してもいくらになるか見当もつかないほど、莫大なギャラだと言えるでしょう。

■特別報酬を贈るも…

これらの報酬に、さらに山海の珍味を添えて運ぶ輸送隊は、三年間絶えることなく東海道と東山道を往き来したといいいます。今のように大型の輸送トラックもない時代ですから当然ですね。

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六波羅蜜寺にある運慶の肖像とされる僧形像(Wikipediaより)

しかも運慶の作品製作レベルには上・中・下のランクがあり、基衡が選んだのは「中」ランクだったというから驚きです。

さらに、基衡が特別報酬として生美絹を舟三艘に積んで送り届けたところ、運慶は「うれしいけど、生美絹より練絹の方がもっと良かった」と話したとか。

これを受けて基衡は、すぐに舟三艘分の練絹を送り届けました。

信仰心ゆえに見返りを求めないどころか、運慶は一流の彫刻家としてしっかりギャラを要求していたのです。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社

画像:photoAC,Wikipedia

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