戦国時代は、戦乱の時代だっただけでなく、経済革命、技術革命など、多くの分野で変革が起きた時代でもありました。それを象徴するのが、金・銀の飛躍的な増産です。
人類は、はるか昔から金や銀という光る金属に魅了されてきました。貴金属は美の象徴であり、富の象徴でもあり、さらには権力の象徴でもあったといえるでしょう。
また、金銀はその美しさだけで珍重されていたわけではありません。
科学的知識に乏しい時代でも、金や銀が不活性物質であることは知られていました。
不活性物質とは、質的には変化しないにもかかわらず伸ばしたり刻んだりすることが可能で、さまざまなものに加工できるということです。
つまり、金や銀は使い勝手がよく便利だったということです。
そのため、人々は金銀を求めたのです。
■知られざる日本のゴールドラッシュ
さて戦国時代よりも前の日本では、金は陸奥・銀は長崎の対馬でしか採れませんでした。ところが、戦国時代になると全国各地で金山・銀山が開発されていきます。
特に東日本では金の生産が盛んになり、戦国時代には黒川金山・湯之奥金山や甲斐の金山などがラッシュを迎えます。
16世紀中期から末期にかけて、すなわち戦国時代から安土桃山時代には、越前・加賀・能登・越中の金銀山が開発されました。
伊豆の金山は16世紀の後期に開かれますが、17世紀になってからは多量の銀を産出していきます。
また佐渡相川の金銀山は16世紀末の鶴子銀山の発見に端を発し、慶長6年(1601)に開発され、17世紀前半には最大の産銀がありました。

国指定史跡の鶴子銀山(Wikipediaより)
つまり戦国時代は、知られざる日本のゴールドラッシュの時代だったのです。
■上杉も武田も…
ちなみに、かの上杉謙信が力を持ったのは佐渡の金山開発によるところが大きいです。
佐渡金山は、徳川時代になってからも江戸幕府によって金銀が採掘され続けました。
また。謙信のライバルである武田信玄は、甲斐黒川の金山、さらに信濃や武田領となった駿河の金山などから金を得ています。

武田信玄像
武田勝頼のときに武田氏が滅びたのは、武田の金山を掘り尽くしてしまったからだという説があることからも、これらの金山の開発が武田家にとってどれほど重要なものだったかが分かるでしょう。
こうしたゴールドラッシュが可能になったのは、灰吹法という金銀の新しい精錬技術が使われるようになったからです。
この精錬法は、銀の場合では、まず銀鉱に鉛を加えた貴鉛という合金をつくり、灰を詰めた炉の中で、この貴鉛に空気を吹きつけながら加熱します。
すると鉛が酸化して灰に吸収され、あとには銀だけが残ります。
金も同じ要領で採取されました。金はそれまでは砂金を集めるしかなかったのですが、この新技術によって、金鉱石からも採取できるようになったのです。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC、Wikipedia
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