今回は、日本における春画の歴史と移ろいについてご紹介する。
春画とは
浮世絵の一種であり、性行為や性的描写を含む絵画の事を「春画(しゅんが)」と呼称する。
春画は当時の人々が性的欲求を満たすための道具とされたほか、厄除のお守りや、嫁入り時の女子に対し性知識の指南書として持たせる事もあったという。
春画はお守り?江戸時代の庶民にとって春画とは性欲を満たすだけのものではなかった

特徴
写実的な描写は少なく、局部を誇張したデザインや官能的で大胆な構図の作品が多い。中には不自然なポーズや、状況が正確に飲み込みづらい作品、人間以外の生物との絡みを描写した作品なども数多く残存する。
春画の手法は肉筆画と木版画に大別することができる。肉筆画は貴重であり貴族などの上流階級民を中心に広まった。印刷技術が向上した江戸時代中期以後は、庶民に広がり木版画の市場占有率が増加した。
春画の起源
紀元前から性をテーマにした絵画や彫刻は世界中に存在した。春画の原型は中国から平安時代(12世紀頃)にもたらされた房中術(性行為のおける技法を示した解説図)の指南書だとされる。以後、日本独自の発展、進化を辿った。
平安時代には初期の春画が多く製作され、性行為を露骨に描写したものや、歪曲しユーモラスに表現したものなどバリエーションに富んだ作品も登場した。
現存している最古の春画は、平安時代末期に描かれた春画の絵巻物「小柴垣草紙(こしばがきぞうし)」と考えられている。
この春画は平安時代中期の皇族であった済子女王と、武士である平致光の密通を描いたものと推察されている。原本は現存せず、現代に残るのは伝本のみである。
室町~戦国時代
この時代になると、春画を描く絵師の数も増加し需要は拡大した。戦国時代の春画には性に対する教科書という側面もあり、若者は春画によって性知識を得ていたと考えられている。
また、戦国時代における武士たちの中には、出陣にあたって鎧や具足の中に春画を忍ばせる事で戦に勝つという呪術的効果を期待した風習があった。
武士たちは慣例として戦の前に女性と肉体関係を結ぶことを禁止されていた。春画はお守りとして用いる他、戦場での緊張を緩和し、性欲を慰める手段としても活用した。
それらの春画は「勝絵(かちえ)」とも呼ばれ、広く親しまれた。
春画は新婚生活に必須?江戸時代、春画はただ見るだけのものじゃなかった

江戸時代における春画
江戸時代になると「春本(しゅんぽん)」の出版も開始され、挿絵として利用された春画の需要は庶民の間で広がりを見せる。
1722年、幕藩体制強化のため打ち出された享保の改革によって春本が禁止されると、春画の需要はさらに拡大。

江戸期に春画を手掛けた代表的な絵師
・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)
1600年代に活躍した江戸時代初期の画家。挿絵としての浮世絵の品質を向上させ、芸術作品として昇華させた立役者とされる。代表作は「見返り美人図」。春画の製作にも心血を注ぎ、多くの作品を残している。
・鳥居清長(とりいきよなが)
江戸中期の浮世絵師。美人画で知られる。春画の製作にも積極的であり、横長形式で描かれた「袖の巻」は清長の代表作として広く知られている。
・喜多川歌麿(きたがわうたまろ)
江戸中期の浮世絵師。江戸庶民を題材とした美人画を多く残した。歌麿の作品の題材となった女性は有名になった程影響力が強く、幕府から再三の表現制約を受けるほどであった。
・葛飾北斎(かつしかほくさい)
江戸後期を代表する浮世絵師。
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明治以降の春画
明治期の春画は江戸時代のそれとは異なり、性的表現のみを追求した作品が多く散見されるようになる。この時代は明治政府による春画販売の規制や写真技術の台頭により、春画文化は下火となった。
明治に制定された検閲制度は後の出版法などによって拘束力を強め、春画を中心とする国内の風俗文化は終戦直後まで処罰の対象となる。
国内で需要や評価が一時的に下がった春画だったが、海外での美術的評価は高く、ピカソやゴッホなど、ヨーロッパの著名な画家たちにも多大な影響を与えた。
現在では、春画を描く画家やイラストレーターも多く存在し、熱心なコレクターも多い。国内でも定期的に春画をテーマとした展覧会や展示会が開催され、とても身近に春画の魅力を堪能することができる。
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