戦国時代の百戦錬磨の武将たちも、最初は必ず初陣(ういじん)から始まりました。当時の武将たちにとって、初陣はまさに人生の一大イベントだったと言えるでしょう。
通常は、十二から十五歳くらいで元服したのち「初陣を飾る」ことになっていたようです。
元服とは成人を迎える儀式であり、社会的に大人として認められる重要なステップでした。いわば通過儀礼です。
これが名のある武将の子供であれば、初陣で負けるわけにはいきません。そこで、たいていは楽勝できそうな、小規模な戦闘が初陣の場に選ばれることが多かったようです。
例えば織田信長の初陣は十四歳のときで、上述のようにセレモニー的要素の濃いものでした。
その後、信長は桶狭間の戦いなどの数々の戦で勝利を収めて、名を馳せることになるのはご存じの通りです。しかしそんな彼でも、初陣は翌日には居城に帰る程度の小さな戦いでした。
この時の相手は駿河今川勢、すなわち今川義元でした。彼らが尾張領へと侵攻してきたため、領主の織田信秀(信長の父親)が牽制のために出陣したのです。
織田信長と今川義元像(桶狭間古戦場公園)
その後、今川義元を信長が討ち取ったことを考えると、歴史の因縁を感じますね。
ちなみに当時の信長の出で立ちについては、「「紅筋が入った頭巾と馬乗りの羽織、馬鎧」というものだったそうです(『信長公記』より)。
■その他の武将の場合
さて、織田信長の初陣について解説しましたが、他の有名な武将たちはどうだったのでしょうか。
徳川家康が初陣を迎えたのは十七歳の時。今川義元の命令により、寺部城を攻めています。
三河国では、1555年(弘治元年)から1558年(永禄元年)にかけて「三河忩劇(みかわそうげき)」と呼ばれる今川氏に対する国衆の大規模な反乱が起きていました。
そこで1558年(永禄元年)2月5日、家康は今川義元の命により、今川氏から織田氏に寝返った寺部城主・鈴木重辰を攻めたのです。

竹千代君像と今川義元公像
この他、前田利家と浅井長政の初陣はともに十四歳、伊達政宗は十五歳でした。
また元服を前に初陣を果たしたケースもあります。毛利家の吉川元春で、十二歳のときのことです。彼は尼子攻略戦に自ら志願し、父・毛利元就を説得して出陣しました。
この時の彼が示した気概が、後の彼の活躍の基礎となったのでしょう。
■例外的なケースも
先述した通り、初陣となると小規模な戦いでセレモニー的に行われることが多かったのですが、初陣でいきなり評価を高めた戦国武将もいます。上杉謙信です。
彼は十四歳のときに兄に代わって出陣し、栃尾刈谷田川の戦いでその実力を内外に示しました。
一方、当時としてはかなり上の年齢になってから初陣を果たした、例外的な武将もいます。長宗我部元親です。彼が初陣を迎えたのは、二十二歳になってからでした。

カッコよさが際立つ長宗我部元親像
元親の初陣が遅れた背景には、彼が子どもの頃おとなしい性格で、父の国親が初陣のタイミングに迷い続けたという事情があったようです。
しかし、元親もその後、戦国時代の名将として名を残すことになったのはご存じの通りです。
歴史に名を残す名将たちも、それぞれこのように初々しく若い頃があったのだと考えると、彼らも人の子だったんだな……と感じますね。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む 雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
刀剣ワールド
画像:photoAC
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