戦国時代の合戦時は、今の時代から見ると意外なほどおまじないや儀式めいた手続きが多くありました。
ここでは、いわゆる「先陣を切る」武士の選び方と、「三献の儀」について説明しましょう。
いざ合戦となったとき、最も重要な役割を果たすのは先陣です。先陣が敵を切り崩せば一気に押しこめますし、逆に先陣が敵に翻弄されれば、後退を余儀なくされるでしょう。
そんな大事な先陣を務めることは、武士の名誉とされました。
そのため「われこそ先陣に」と申し出る武将は多く、総大将にとって、先陣にどの武将を選ぶかは最も頭を悩ませるところでした。
普通、先陣にはその軍団の中で最も勇猛な武将が選ばれます。しかし百戦錬磨の武将たちが揃っていると、なかなか一人だけを選び出すのは難しいもの。そこで、こんな選び方をしたケースもありました。
■武田信玄の場合
武田信玄率いる軍勢が、信濃の村上氏を攻略しようとしたときのことです。
信玄の配下には優れた武将が多く、このときは板垣信形・日向大和・諸角豊後の三人が自分を先陣にと主張しました。
そこで信玄は思案し、くじ引きによって先陣を選ぶことにしたのです。
能力に大きな差がないのなら、勝負の行方は運の力に左右されるところが大きくなる。くじ引きに当たった武将なら、その勝運を備えていると、信玄は考えたのです。

武田信玄(Wikipediaより)
こうした先陣の選出をはじめ、戦国時代の出陣式は非常に重要な儀式でした。
出陣式がうまくいけば兵の士気は大いに上がり、逆に不吉なことをしでかすと兵に不吉な予感が伝染し、士気はみるみる落ちました。
そのため、出陣式にはことのほか気が使われ、易に通じる軍師が儀式を荘重に執り行ったといいます。
出陣式は、城内や神社で、東か南を向いて行われました。とくに北は避けられました。死者を北枕に寝かせるところから、縁起の悪い方角とされていたからです。
■出陣の儀式
こうした儀式では、まず主将が酒を三度注いでもらって飲み干す「三献の儀」を行います。
酒肴には、一杯目には勝栗、二杯目には打鮑、三杯目には昆布が用いられました。「打ち勝って喜ぶ」と縁起をかついだのです。
それらがないときは「人切れ」という意味で、漬物一切れが使われました。

三献の儀は現在は「三々九度」として知られている
三献の儀式が終わると、主将に兜や鎧を着せます。このとき、介添えをする者は必ず左廻りに動きました。
鎧を着た主将は、右手に軍扇を開いて、左手に弓を持ち、兵たちの前に立ち上がります。そして足を開いて踏ん張り、「えい、えい」と叫びました。
これに、兵たちは「おう」と呼応して三度繰り返します。この鬨の声の威勢がいいほど士気は上がり、勝運が近づいたとされました。
式が終わると主将は馬に乗りましたが、これにも決まりがありました。
出陣式で退くというのはタブーなので、主将の乗った馬が退いたり、敗北に通じる右廻りをしたら、一度、馬から降りて乗り直したのです。
出陣式は、それほどに念入りに行われた儀式でした。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia
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