遊廓で遊びたい男性は数多し…といえども、費用を考えるとそう気軽に庶民は足を踏み入れることができない場所でした。高給取りの大工でさえ日給の16~17倍は必要なのですから、庶民にとっては大金です。
勘定の際に、お金が足りなかったということもあれば、最初から金を持たずに登楼する客も中にはいたようです。

■支払わない客にはお仕置きを

しかし、代金を支払わないお客を、はいそうですかといって帰すわけがありません。身内や友人などに代わりに払ってもらいますが、家まで本人を連れていくと途中で逃げられるかもしれないので、吉原で桶伏せにしておきます。この桶伏せは、通りに本人を引き出し、小さな窓を空けた風呂桶をさかさまにしてかぶせる私刑。

桶の上に大きな漬物石を置いたら、逃げようにも逃げられません。大小便も垂れ流し、食事も粗末だし、晒し者にされるきついお仕置きでした。揚げ代を支払いに来てくれる者が来てくれたら、ようやく解放されるというわけ。ちなみに、これは江戸時代初期に行われていたそうです。

江戸時代の遊廓、勘定が足りない遊客にお仕置きを。何が何でも回...の画像はこちら >>


歌川広重『名所江戸百景 廓中東雲』

■何が何でも回収します

新吉原では、桶伏せの代わりに付け馬や行燈部屋入りが行われていました。付け馬は、客が用立てできるところまでどこまでも一緒についていき、必ず払わせます。少額ならば遊女屋の男衆が付け馬をしますが、高額ならば始末屋という専門職の人が出向くこともあったそう。

それでもどうしても払えないという客には、衣類や持ち物一切を容赦なく取り上げ、それでも足りないときは殴ったりけったりという行燈部屋入りが行われたとか。
そんなにしなくても…とかわいそうに思わなくていいのです。情けは無用。ここで遊ぶからには、足りないから払えませんということは、あってはならないのです。金も無い、仕置は嫌だ、でも遊廓で遊びたい、なんて虫が良すぎるというもの。

庶民にとっては、かなりお金のかかる吉原。支払いの悪いお客へのお仕置きはよく見る光景だったのかもしれません。

参考文献:

  • 田中夏織(2002)『お江戸吉原草紙』
  • エディキューブ(2013)『彩色江戸の暮らし事典』

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