■富札の当たりはどうやって決めるの?
まず、売りだされた札と同じ番号が記された木札が、箱の中に入れられます。そして、上の穴から大錐(きり)で突いて当たり札を決めるのを100回繰り返します。最後の100番が大当たり!といっても99番までも賞金付きなので、さぞかし盛り上がっていたことでしょう。
富札のように公認じゃない賭博もあり、道端でも賭場が開かれていました。いろんなところで開かれているので、さすがに幕府も取り締まる余裕もなく、野放し状態に。そして賭け事が増えると、借金せざるを得ない状況になる人も出てきます。知りあいがお金を貸してくれたらひと安心ですが、そうもいかないときは、街の金融業者に頼ることになります。
■困ったときは金融業者
江戸には、公的な金融機関はありませんでした。武士は札差(ふださし)、町人は座頭(ざとう)などの高利貸しに借りにいきます。ちなみに札差は旗本・御家人に将来の俸給米を担保にして高利でお金を貸すところで、座頭は盲人(座頭)が高利でお金を貸し付けるところです。
元文元年から天保13年までは15%、それ以降は12%でしたが、あれやこれや言ってはもっとせしめていたようです。質屋の利息は、2割~5割。衣類ならば、8ヶ月以上経つと質物が流されてしまいます。
■有名な高利貸といえば烏金
烏金(からすがね)は、翌朝烏が鳴くまでに返さないといけないお金という意味で、一昼夜を期限として高利で金を貸す業者です。借りた日の翌日には返すのが決まりでした。利率は1日に2、3%~1割と、かなりの高金利。そんなに高金利なの?返済できるの?と思いますが、賭場の資金を借りる人もいたようです。賭場でもうかったら、無事に返済できてさらに手元にもお金が残って万々歳ですが、だめだった場合はやはり知り合いを頼っていたんでしょうか。
賭け事は、こういったリスクも付き物ですが、それでも一攫千金を夢見てしまうんでしょうね。
参考文献:大江戸ものしり図鑑
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