10月になり、新米の美味しい時期になりましたね。筆者の住む山形県では『雪若丸』という新品種のお米が話題となり、各店舗で品切れになるほど。
如何に食生活が多様化しても、変わらず日本人が米食に込めて来た思いの強さを感じました。

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かくも愛された米食の描写は日本文学においては枚挙に暇がありませんが、中でも最も知られた作品のひとつが宮沢賢治の名詩『雨ニモ負ケズ』です。

■玄米は農民の強い味方!

『雨ニモ負ケズ』の詩は、小学校で朗読した方も多いのではないでしょうか。どんな天候にも負けない丈夫な体と無欲、静かな笑みを絶やさない心を歌った後で米のご飯について記されています。

『一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ』

玄米のご飯を味噌と少量の野菜と共に食べる慎ましやかにして、素朴な食卓の様子です。ここで注目すべきポイントは玄米。白米は当時の技術では精米するのに時間がかかって高コストだったことや、玄米は消化が遅くて腹持ちが良いことなどで戦前の我が国(特に東北地方の農村)では広く食べられていました。

お米を一日に4合も?宮沢賢治の名詩「雨ニモ負ケズ」に描かれた近代日本の米食文化


また、白米を多食する都市部よりも玄米や雑穀を食べる地方の方が脚気になりにくかったように、玄米はビタミンやたんぱく質、ミネラルなどを一度に摂取できるスーパーフードでもありました。玄米を常食すると言うのは経済的、技術的な問題もありましたが、栄養価ではむしろ理想だったとも言えるのです。

■お米を一日に4合も食べる理由

一節の中で気になってしまう点のひとつが、米の量です。1合は180㏄なので4合は720㏄となり、かなりの量になってしまいます。しかも宮沢賢治は、病弱で小食な傾向にあったのになぜ?と疑問は尽きませんが、実は、この量は当時の労働者が食べていたお米の量と関係があるのです。


現代ではおかずとご飯をバランス良く食べるように教育されますが、当時の貧しい農村部では副食が貧弱でした。酵素が入っていて消化を助ける塩辛い味噌や、安価な野菜のように少ないおかずで大量の玄米ご飯を食べ、お腹を膨らませつつ栄養バランスも摂るのが当たり前だったのです。

肉体労働の多い農家や商工業に従事する者、兵士などは貧弱な副食を補うため、4合どころか6合も食べることはざらでした。面倒臭い手作業や農業をしなくても6合のお米が食べられることを理由に、兵士や出稼ぎ労働者になる人もいたほどなのです。むしろ、賢治が詩に読み込んだ米の量は多くないとさえ言えます。

お米を一日に4合も?宮沢賢治の名詩「雨ニモ負ケズ」に描かれた近代日本の米食文化


裕福な家に生まれ育ち、教養豊かな才人としての才能を発揮して農村を救おうと志した賢治の思いが天に通じたのか、技術が進んだ現代では6合もの玄米ご飯を詰め込まなくても栄養のバランスが取れますし、飢餓に苦しむこともありません。

しかし、つい100年ほど前までは米飯をわずかなおかずで食べる食事スタイルが存在したのです。美味しいお米を味わいながら、そうした幸せを噛み締められる世の中を作ってくれた人々に思いを馳せながら秋を過ごすのも、筆者は決して無意味ではないと思います。

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