平安時代の雑学【1】この世の春を謳歌した平安貴族、その生活ぶりはなかなかカオス
平安時代の貴族には、年中を通して様々な儀式があり、それに伴って宴会が開催されました。
■王道はお花見!桜を愛でるのは平安時代が始まり
春先は、桜を観賞しながら酒や食事を楽しむお花見(花より団子と言うケースもありますが)が宴会の定番ですが、これは平安時代が始まりと言われています。古代、日本を含む東アジア諸国では、当時最先端の国だった中国の影響で梅の花を愛でるお花見の風習があり、今も台湾や韓国では梅が人気です。
そんな“梅の花文化”が主流であった日本で、花見の主役が桜になったのは、弘仁3年(812年)に嵯峨天皇が主催した花見の宴が記録されており、すでに平安貴族の間では桜が人気であったようです。その文化は徐々に僧侶、武士、農民などの間に浸透していき、今に至っています。私達が春の楽しみとしているお花見は、平安時代の貴族も楽しんだ花見の宴が起源だったんですね。
■さあ、月夜のロマンを味わおう!月見の宴

春の宴が花見と来れば、秋の宴の定番は月見です。これも平安時代に貴族が行っていた宴に起源を持つもので、十五夜の月を愛でながら管弦(音楽)と詩歌を楽しみ、お酒を飲むものでした。十三夜の月見をする場合もありますが、それは日本独特の風習で、宇多法皇が延喜19年(919年)に催したのが始まりとされます。
法皇を始めとした貴人に親しまれた平安期の月見は、池や盃などの水面に映った月を眺めるのを楽しみ、そうした理由から船に乗りながら月見をすることもありました。水に映る月のミステリアスさは、当時から人々の心を射止めていたのでしょうか。なお、お団子を供えるのは行われておらず、江戸時代になってから月見団子は普及していきます。
■今も続く風流な歌の集い・曲水の宴

平安時代で最も有名な宴のひとつに、寺社などでも行われることがある曲水の宴があります。これは小川など流れのある水のほとりに座って上流から盃を流し、それが自分のところに来るまで詩歌を作ると言うものです。場合によっては、作品が出来ないなどミスがあれば盃に入っている酒を飲まされる罰ゲームもありました。
この曲水は、元は古代中国で貴族や文人が行っていたものであり、大和朝廷に導入されたのが始まりで、今のようなスタイルになったのは平安時代からです。中世以降は断絶してしまった曲水ですが、多くの人々によって昭和になってから再現されました。平安装束を着用して歌を作る参加者の姿は、往古の姿を今に伝え続けています。
いかがですか?平安貴族の宴と言うと私達にはなじみが薄いと思われがちですが、今でも行われる花見や月見など、年中行事にも強い影響を与えています。そうしたイベントの時、同じようにして自然の美しさを愛でた貴族の心に思いを馳せるのも、一興かと思います。
画像:Wikipedia『曲水の宴』
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan