江戸時代の宝歴期には、吉原も大衆化し、客の大半は庶民となりました。とはいえ吉原はかなりお金がかかるので、庶民はそう何度も気軽に足を運べる場所ではなかったのです。


それでもやはり、いろんな客が来るわけで、中には遊女たちが苦手な客・嫌いな客も…。

江戸時代の遊女にも苦手・嫌いな客がいた。こんな客は歓迎されま...の画像はこちら >>


■経験豊富な客は好まれない?

苦手な客といえば、経験豊富な客もそうでした。交合巧者の男は、遊女の生理サイクルを知っているから、膣口が最も柔軟性に富み密着度が増す時期もわかっているのだそう。毎月、同じころつまり交合に最適な時期に来るのです。

こういった客はなかなか射精することなく、抜き差しするばかり。女陰の感触を十分に楽しもうと時間をかけます。遊女としては、女陰や腹に疲労が溜まり、たまったものではありません。

そんなときはどうしたかというと、交合したまま何度か深呼吸を繰り返し、腹の空気を全部出して息を止めるのだとか。そして、足の指先を上にたててふんばって、男の腹を自分の腹に密着させ腹に力をいれたら、「気がいくいく」と矯声を上げるのがポイント。

こうすることで、男根は突然射精をするといわれていました。

反対に、半立ちなのも扱いが大変だったそう。半立ちとはいえど性欲がないわけではないので、どうにかして射精に導きたいもの。
それは、遊女の腕にかかっているのです。そこで、まずは男根以外の性感帯を繰り返し繰り返し刺激したのだとか。

これで、硬直してくるというわけ。

自分の快感を増幅させるために、そっと秘具を持ち込んで、交合の際に使う客もいたとのこと。持ち込みがばれた時点で、女郎は女世話役を呼んで、徹底的に調べさせます。また、巨根も歓迎されませんでした。遊女にとって、陰部は大事な商売道具です。無理やり巨根を挿入されたら、痛いったらありゃしない、勘弁してくれという感じだったのでしょう。

■嫌われる客の代表例、浅黄裏

嫌われる客の代表例が、浅黄裏や半可通です。浅黄裏(あさぎうら)と呼ばれる勤番武士は、遊女に嫌われていました。

藩主の参勤交代に従い江戸に出てきた勤番武士は、時間はたっぷりあるけれど、金銭的な余裕はなし。それでいて、性格がしつこく、自信満々で威張っているのだから、女郎に嫌われても無理はありません。
女郎たちには敬遠されていた浅黄裏は、川柳でも笑い者にされているほど。

半可通(はんかつう)も、遊女に嫌われる客でした。半可通とは、江戸っ子を気どり知ったかぶりをする客のことで、吉原の内情に詳しいことをひけらかしくてたまらないのです。

聞きかじりの知識を得意げに披露する彼らは、陰では笑いものにされていたとか。どんな客が来ようが、ひそかに優位に立ちながらも、相手を満足させることができる。そんな遊女が、やはり多くの客を魅了したのかもしれませんね。

参考文献:江戸の性愛術、春画と書入れから見る吉原と江戸風俗

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