江戸時代、芳町といえば陰間茶屋が多いことで有名でした。最盛期には100人以上の陰間がいたというから、かなり繁盛していたのでしょう。
遊興費は、吉原の最高級の遊女と同じくらいだったそう。

ところで、この陰間は舞台に立てなかった女形が大半でした。だから、陰間は美少年ばかり。ちなみに、当時「野郎」は「歌舞伎俳優の美少年」という意味だったそう。つまり、陰間は「歌舞伎俳優として活躍することを諦めた」女形なのです。

陰間は美少年だけがなれる?若さはいつまでも維持できないもの、...の画像はこちら >>


歌舞伎役者として生き残るのは、そう簡単なことではありません。人気が出ない役者は、地方巡業に回されてしまうことも。地方で売れっ子になるより、やっぱり江戸にとどまりたいという想いが強いと、陰間としての道を選択することになるのです。

■見た目は女そのものだけど…

若くてほっそりとした陰間は、中性的な魅力がありました。男らしさというより、女らしさ寄りでしょうか。成人式を迎えてない男の子は、男として扱われなかったともいわれています。陰間茶屋に向かう陰間は、身なりは女そのものだから、一見男とはわかりません。


茶屋で売春?男色を売る男娼までいた?江戸時代には色んなタイプの茶屋があった

でも、よく見ると、野郎帽子という帽子をつけて、帯に小刀を差していたりと、歌舞伎俳優とわかることがあります。彼らが男という現実を突きつけられるのが、性交のときです。猛々しいものが露わになると、美しい顔とのギャップにどん引きしてしまう人も、中にはいるようで。綺麗な陰間ほど、そのギャップは大きかったのでしょうね。

■陰間は期間限定だった?

陰間と呼ばれるのは12、13歳から17、18歳くらいまで。この時期は、男客の相手を務めます。ひげ抜きをしたり、お化粧をしたりと、きれいでいるための努力を惜しみません。でも、若さはいつまでも維持できないもの。成長とともに、男色に向かない体になってしまいます。

18歳から20歳くらいの間は、陰間にとって最もつらい時期かもしれません。男の客からも敬遠され始め、かといって女の相手をするのもまだ慣れていないので、女の客を十分満足させることもできないのです。

男娼がいる江戸時代の「陰間茶屋」客は男性だけではなく女性にも人気だった?

20歳を超えると年増陰間と呼ばれ、女客をあしらうのも上手になってきます。
年増陰間にぞっこんになり、素人の男を相手にしなくなる客も多数いたとか。

参考文献:女子のためのお江戸案内、大江戸ものしり図鑑、江戸の艶本と艶句を愉しむ

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