日本でも「碧素」(へきそ)という名前で1945年に実用化に成功しています。
フレミングがペニシリンを発見するに至った経緯について、彼がブドウ球菌を培養中にカビの胞子がペトリ皿に落ち、カビの周囲のブドウ球菌が溶解しているのに気づいたことがきっかけだったそうですが、フレミングよりもずっと前に、それも江戸時代の日本で、ペニシリンのような薬を使って治療していた医者がいます。
医者の名前は足立休哲(あだちきゅうてつ)。1660年、徳島生まれ。やがて江戸の青梅・森下に移り住み、そこで開業医として活躍していました。大変な名医として知られ、金持ちには高額の医療費を請求し、貧乏人には無料で診察をしたのだとか。
次のような逸話が残されています。
あるとき、北島五兵衛という金持ち商人がひどい病気にかかり重体となりました。休哲が彼を治療したところ、無事に回復。その後、北島家の番頭が謝礼として五両を差し出すと、休哲先生は「御主人の命がたったの五両ですかい」といいました。
番頭はおそるおそる治療費を聞くと、「まあ、この10倍ほどでしょうな」とすましていったのだとか。北島家は五十両を支払い、休哲はこの五十両を貧しい人に与えたと伝わります。
まさに江戸時代版ブラック・ジャックといったところでしょうか。
さて、それほど腕の良さが評判だった休哲ですが、彼が治療の際に使っていたといわれるのが秘伝の薬。その入手先はもちろん、製法も明らかにされていませんでした。
ところが、あるとき彼の女中の一人が、台所の床下からカメの中から休哲が何かを取り出しているのを目撃します。女中がカメの中を確かめると、そのなかにあったのは青カビだったのだとか。
休哲はどこで青カビの効用に気が付いたのでしょうか。それがわかる記録はいまのところのこされていません。
休哲は特に耳の病気を治すことで有名でした。1752年に93歳で亡くなりますが、彼の死後、村人によって小さな祠が建てられ、神格化されました。今でもその祠は残っており、「キュウテツサマ」といわれ眼と耳の病のご利益のある神様として信仰されています。(所在地:東京都青梅市森下町443周辺)
キュウテツサマ
休哲と青カビについての逸話は、現在でも謎が多く、一部には「未来からタイム・スリップした医者なのでは?」なんて考える人たちもいます。
その真偽は確かめようもありませんが、時代を超えて人々に愛され続けている名医。
トップ画像:解体新書より
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