というのは、吉原での芸者の位置づけは、あくまで遊女の盛り立て役。でしゃばることは許されませんでした。もちろん、客の男と寝ることはタブーでした。
そうだったの?江戸時代~吉原・遊郭
タブーを侵すことがないよう、芸者は2人で酒宴の場に出るのが鉄則です。三味線を弾く人と、唄か踊りを行う人というパターンが多かったようです。もしルールを破って客の男と寝たら、席に出ることを禁止されたり、時には追放されることも。
だから2人1組になり相互に監視することで、芸者が客と寝るのを防いだのですね。
一方、町芸者は、転ぶ(客と寝る)のもよくあることでした。黒羽織を着ている深川の芸者は、お互いの合意さえあれば、男1人女2人で淫乱な行為をすることもOKだったというから、ビックリ!客にとっては三味線も弾けて淫事もできる芸者は、喜ばれるのです。
江戸仲町大新地・下谷広小路・広徳寺前通などの町芸者は、特に有名でした。しかも、当時8代将軍・吉宗によって踊子芸者が厳しく取り締まられました。
間宿(本宿と本宿の間にある宿)で客を呼び込む招婦も、性を売る仕事の一つでした。つまり飯盛女のことですね。
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遊女の代わりも務めるため、性を売る宿屋の女として知られるようになりました。別名、おじゃれといったそう。おじゃれは「おいでなさい」「いらっしゃい」が訛ったもので、これだけ聞くとさぞかし上品に誘うのかと思いきや…実は、かなり強引に客を引くのです。
おじゃれに捕まったら、ぐいぐいと宿屋に引っ張り込まれることがしばしば。客も、せっかく家庭を離れたことだし、料金も比較的安いし…とまんまと飯盛女を抱いてしまうのかもしれません。
水茶屋女にも、性を売る女がいたそう。水茶屋の客に口説かれ、近くの店で…というのは、よくあったこと。こういったニーズに応えるために誕生したのが、待合茶屋です。
茶屋で売春?男色を売る男娼までいた?江戸時代には色んなタイプの茶屋があった
ただし、こうやって口説かれるのは誰でもというわけではなく、美人だったり性技に長けているなど人気の水茶屋女のみだったのかも。
似たようなもので、料理茶屋もあります。ここでは料理を出し、芸者・遊女を呼び遊ばせます。性を売る仕事は、実に多様です。少しでもお金を稼ぎたいのは、みんな同じ。
たとえ過酷な環境であっても低料金であっても、しつこい客に絡まれても、ぐっと我慢して体を売っていた女も多かったのでしょう。
参考文献:吉原と江戸風俗、図解性の日本史
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