「つい一昨日までも、このスタジオで、4月から始まる月9ドラマのテーマ曲などの録音をしてました。本来、4月放映ならば3月でも間に合うのですが、僕ら音楽の仕事も、コロナで予定がガタガタになっています」
1月最後の日曜の午後。
最近では、多くの流行語を生み出し、昨年の年間視聴率トップとなったドラマ『半沢直樹』(TBS系)で、血がたぎるストーリーを音楽でさらに熱く盛り上げてくれた。
「僕はふだんから自宅の地下2階の仕事部屋で、ときには10日間も籠って、曲を作っているのですが、さすがに60代を前にして、健康には気をつけています。祖父も親父も、亡くなる前には大病していますから」
隆之さんの祖父は、『東京ブギウギ』『青い山脈』などの曲で戦後のわが国を元気づけ、「日本歌謡界の父」とも称された服部良一さん。父は、『ミュージックフェア』(フジテレビ系)の音楽監督や『ザ・ベストテン』(TBS系)のテーマ曲はじめ生涯に6万曲以上を手がけた服部克久さん。つまり、隆之さんは、「華麗なる作曲家ファミリー」である服部家の3代目だ。
服部隆之さんは65年11月21日、渋谷区で父・克久さんと母・時子さんとの間に生まれた。
「6歳から、先生についてピアノを始めましたが、その年ごろの男の子にとってね、ピアノってつまんないですよ(笑)。祖父の誕生日とクリスマス、正月には親戚が集まって『歌唱コンクール』が開催される。歌い手は僕と妹やいとこたち。服部克久が審査員、服部良一が審査委員長ですから、たしかにスゴイ(笑)。
一方、父の克久さんは前述の音楽番組に加えて、郷ひろみや山口百恵らトップスターのショーの音楽作りなどに慌ただしく過ごす日々。
「父は、『最近、サボってるらしいな』とソフトな口ぶりでしたから、そのゆるさが僕にはありがたかったですね。ただし僕も音楽自体は好きで、中高ともブラスバンドをやり、仲間とバンドも組んでましたから。音楽を決定的に嫌いにならずにすんだのは、『家業を継げ』と強制されなかったことが大きい」
高校を2年で中退し、フランス留学に踏み切ったのも父親の影響だった。この留学を決心した時点で、ひそかに「真剣に音楽でやっていこう」と決めていたそうだ。
「背中を押してくれた親父との会話が2度あったんです。1度目は中3のとき。『俺と同じ仕事をやってくれたらうれしい』と」
そして2度目は、まさに明日からパリ留学が始まるという前夜、場所はイタリアだった。
「家族が夏休みを利用して、ちょうど欧州旅行に来てました。2人で白ワインを飲んでいると、親父がふと口にしたんです。『商業音楽をやるというのはな、自分のスキルとテクニックを切り売りしてお金に換えることだ』。
5年間のパリでの生活を終えて帰国した隆之さんを、いきなりビッグな初仕事が待っていた。89年1月発売のさだまさしさん(68)の『夢の吹く頃』で、アレンジを任されたのが、隆之さん。
「七光り、いや、祖父からだから十四光りですよね(笑)。でも、この七光りは、僕にとっては、非常にナチュラルなものになっちゃうんです。だって親父の克久がもうすでに服部良一の息子で、『父親の名前をおおいに利用させてもらった』なんて公言してる。僕自身、さださんのあとにも谷村新司さん、さらに『夜のヒットスタジオ』の音楽監督など、普通の新人ではありえない。そうやってデビュー直後からいろんな仕事をいただけたけど、うまくいけば『さすが服部先生のご子息ですね』となり、ダメなら『ご子息なのに』と言われるだけ。いつか、七光りも気にならなくなってました」
そして、13年7月放送のドラマ『半沢直樹』の音楽を担当することになる。最初の依頼は放映の1年ほど前で、TBSの名物ディレクターの福澤克雄さんからだった。
「新ドラマの主人公は銀行員で正義感が強く、汚職や悪に敢然と立ち向かうキャラクターであり、主演は堺雅人さん。そうした基本情報をお聞きして、そこからイメージを膨らませます。 曲作りに際して僕が思い描いたのは、風車に立ち向かうドン・キホーテ。いや、もっともっと熱い男像を、音楽に込めました」
その結果こそ、あの波乱が巻き起こる予感でワクワクするような名曲だったのだ。
(撮影:田山達之)
「女性自身」2021年3月2日号 掲載