ギャンブル好きで、空気を読まない自分本位の発言を連発。でもなんだか憎めないキャラで、お茶の間に笑いを届け続けた、あの蛭子能収さん(73)が認知症になった。
蛭子さんと悠加さんの出会いは03年。01年に前妻の貴美子さん(享年51)を亡くした蛭子さんが、再婚相手を探していると聞いた本誌は誌上お見合いを企画。それに悠加さんが応募したのだ。
蛭子さんといえば、テレビで見せる空気を読まない独特な天然キャラで自由奔放な言動をするイメージが強いが……。交際から3カ月ぐらいたったころには、2人で佐賀県唐津市に2泊3日で旅行へ。
「仕事が終わった翌朝、よっちゃんは『競艇をしたい』と言いだし、2日目も競艇場に行ってしまいました。さらに3日目の朝にも『大事なレースがあるから』とさっさと競艇に出かけてしまい、旅行中、私はホテルにずっと1人きり。さすがに帰りの車中で『どういうつもりなのよ!』と怒りが爆発しました」
やりきれない表情で詰め寄った悠加さんに、蛭子さんは「前の女房は、こんなことでは怒らなかった」と言い返したという。
「前の奥さんを信用するのにも、交際してから3年かかったとも言われました。私は、よっちゃんにとって気が許せる相手になるために、とにかく誠実に尽くして、それを積み重ねていこうと思いました」
07年に悠加さんと蛭子さんは入籍。「よっちゃんの様子がなんだかおかしい」と、悠加さんがそう思い始めたのは17年のある晩のことがきっかけだった。
「横で寝ていたよっちゃんに、突然、たたかれたのです。一瞬何があったのかわからなかったし、翌朝には本人もケロッとしていたから仕事の疲れがたまって寝ぼけたのかなあと思っていました」
レビー小体型認知症の典型的な症状で、存在しないものが見える「幻視」が現れたのは、19年秋のこと。夜は1時間おきに起こされ、睡眠不足のまま過ごす日中には、幻視に加え、物忘れや時間と場所がわからなくなる症状も。蛭子さんの介護が悠加さんの心と体にずっしりとのしかかっていく。
「幸いにも仕事先ではひどい症状はあまり出ていないようでした。だからこそ余計に、よっちゃんが“おかしい”のは私の前だけなのかと孤独感が募っていきました。誰かに相談しようと何度も思いましたが、タレントであるよっちゃんの症状がおもしろおかしく伝わって、芸能ネタになってしまってはいけない、と思っていたので、友達にさえ悩みを打ち明けられませんでした。すべて片づけて、いっそのこと死んでしまおうかと思ったことも……」
本誌記者は、そのころの悠加さんに会っている。くぼんだ目、こけた頬。いらだちを隠せない視線を蛭子さんに向けていた。17年から3年間で、悠加さんは4回、救急病院に駆け込んでいる。ストレスからくる急性胃腸炎だった。
「最初、介護サービスを利用することにひるんでいました。家族のケアを人に任せるなんて。妻である私がしっかりやらないといけない、と思い込んでいました」
ケアマネジャーは、蛭子さんのためにショートステイ(短期入所生活介護)を受けることを提案。とにかく悠加さんの睡眠時間を確保することを優先させた。次第に悠加さんにも余裕が生まれ、二人の関係は穏やかなものへと変化していった。
──それから半年が過ぎた。
最近の蛭子さんは、週に数回、ショートステイを利用し、定期的に通院していることで、症状がだいぶ落ち着いている。混乱することが少ない昼から夕方にかけては仕事も問題なくこなせる。今年4月27日(火)には単行本『認知症になった蛭子さん~介護する家族の心が「楽」になる本』(光文社)が発売。病気は世間に公表され、悠加さん一人が抱え込むこともなくなった。
とはいえ、認知症の症状はあり、悠加さんにとっては、まだまだ大変なことばかり。
「心と体が健康でなければ介護はできないということを知りました。最近は、とくにソファに座ってテレビを見ている姿なんか、くまのプーさんに見えてくるんです。介護も、よっちゃんにならって私も“自分ファースト”の姿勢を持つようにしています」
蛭子さんに、少し厳しい質問をしてみた。記憶力がなくなることに恐怖はないのだろうかと。
「そう考えればたしかに怖いですね。ちょっとずつ物忘れはひどくなっているというか……、どんなことを忘れたかについては、忘れてしまいましたけど(笑)。でも女房がいるから大丈夫なんじゃないかな……と思いますけど」
それを受けて悠加さんが語る。
「そう大丈夫、よっちゃんが何もかも忘れても、私が全部、覚えておいてあげるからね!」
「それはありがたいね」
そう答えた蛭子さんに、悠加さんはふわりと笑いかけた。
一時は自死さえも考えたという悠加さんの心の持ちようが変わったきっかけは、“自分ファーストの介護”の大切さに気づいたこと。そう、介護ではときに「蛭子さんみたいな考え方」が役に立つのだ。
「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載