《作家・僧侶の瀬戸内寂聴は、2021年11月9日、永眠いたしました》
11月11日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの訃報が伝えられた。99歳だった。
’13年、故郷・徳島県で行われた法話で「もし100まで生きていたら、100まで恋をすると思います」と語っていた寂聴さん。100歳にはあと半年及ばずだったが、若々しく生涯を生き抜いてきた。その秘訣は何だろうか。
さかのぼること’14年5月、寂聴さんは腰椎圧迫骨折で入院。退院後には胆のうがんが見つかり、92歳にして手術も経験している。晩年は病との闘いもあったが、その度に復帰を果たしてきた。
寂聴さんは“華麗なるカムバック”について、『文藝春秋』’15年3月号でこう明かしている。
「3年前に寂庵に若いスタッフが来てから、私は笑うことが増えました」
「彼女たちのフェロモンのおかげか、自分がどんどん若返っている気さえするのです。病気で弱った肉体がこれだけ早く回復してきたのも孫より若い彼女たちが身近にいてくれるからでしょう」
特に秘書の瀬尾まなほさん(33)は、寂聴さんの“長生き”に貢献していたようだ。
「毎朝、この娘の顔を見ると笑顔になるし、一日に何度も声をたてて笑わせてもらっている。
■若く長く生きるには、年下の人や好奇心を大切に
寂聴さんは’17年12月に長編小説『いのち』を上梓。そして’18年4月には96歳の誕生日を前にInstagramを開設。「日本最高齢のインスタグラマー」として話題となり、開設1日でフォロワー数が1万2,000人を超えるほどの反響を呼んでいた。
そして、“インスタグラマー・デビュー”も寂聴さんの若さの秘訣だったようだ。’19年4月、寂聴さんは本誌に好奇心と若々しさの関係性について説いていた。
「年がいもないことをすればするほど、人は気持ちが若々しくなるのです。私がこの年でも小説家として活動できているのは、あまり人の言うことを聞かず、“好きなこと”を続けてきたからでしょうか」
そんな寂聴さんは昨年12月に新型コロナウイルスで世界が混迷を極めるなか、本誌で「コロナのせいで人と会えなくなったのは、非常につらい、寂しいことでしたね」と心情を吐露。いっぽうで「その寂しさを救ってくれたのは、私の66歳年下の秘書・瀬尾まなほが産んだ赤ちゃんでした」として、こう続けていた。
「まなほの赤ちゃんと廊下に寝転んで遊んでいると、自分が子どもにかえったような気持ちになる。そのおかげなのでしょうか。年が明けると私は数えの100歳になるのに、自分ではその実感がまったくない。
若く長く生きるには、若い人や好奇心を大切にーー。そのメッセージは、多くの人の胸に刻まれるだろう。