「いまの私を等身大で表現したいと思って、衣装やメークをはじめ、振付も全てセルフプロデュースしました。69歳になりましたけど、まだまだやれる! というところを見せたかったんです」
そう語るのは歌手人生50周年を迎えた小柳ルミ子さん(69)。
「エロくてロック。で、エロック。うまく言ったものでしょう(笑)。これまでもずっとステージで網タイツをはいて踊ってきましたから、私自身は全く違和感がないんです。色っぽくカッコいい、それが私らしさだと思っているので」
’71年に『わたしの城下町』で歌手デビュー。『瀬戸の花嫁』や『京のにわか雨』など抒情派歌謡の大ヒットで国民的歌手となったが、本人が目指すものではなかったという。
「3歳からバレエを学び、私の強みは歌うことと同じくらい踊ることだ、と。その思いをずっと封印してきて、ようやく踊りにも力を入れることができたのは30代後半でした」
大きな実を結んだのは音楽活動だけではない。30歳のときに映画『誘拐報道』(’82年公開)に出演。同作の監督から映画『白蛇抄』(’83年公開)の主役の話が舞い込んだ。
「『白蛇抄』は官能描写が多かったので迷いはありました。でも監督を100%信頼して、自分ならできると信じてお受けしました。ただ、所属事務所には事後報告したので、社長に烈火のごとく怒られて(笑)」
初ヌードも披露したこの作品の演技で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。大きな分岐点になった。
一方、30代は私生活でも転機が訪れた。36歳のときに結婚。相手が13歳年下の無名ダンサーだったために“格差婚”と揶揄されたが、その熱愛ぶりからおしどり夫婦と呼ばれるまでに。
しかし、夫婦生活は9年で破綻。離婚の真相が小柳さんの口から語られなかったことから、その後2年間マスコミに追われ続けた。
「買い物に行くと、レジの横に並んでいる週刊誌に書かれた“瀬戸際の花嫁”という文字が目に入るんです。うまいタイトルをつけるものだなあって(笑)。
人間性まで否定されるような書かれ方をするたびに世間がみんな敵に見えました。
■いつ逝ってもいいように睡眠時間を削ってでも…
半世紀にわたる芸能生活は常に波瀾万丈。それでも明るく朗らかに笑い、デビュー50周年を記念して、シングルリリースのほか、自身がプロデュースしたオリジナルコスメ「attitude~アティチュード~」も発売するなど精力的に活動する。
心のよりどころは、「サッカーと愛犬」と小柳さん。大好きなリオネル・メッシ選手が出場する欧州リーグの試合を観戦するためには睡眠時間を削ることもいとわない。
「お肌に悪影響はまったくない。むしろ、私は試合を見ないで寝たときのほうが翌朝ダメですね。私の活力のもとなので(笑)」
保護犬だった5代目“ルル”は昨年10月に小柳家にやってきた。
「ルルたんなしではもう生活できない(笑)。彼女との出会いは、奇跡だと思っているんです。私の年齢を考えると、赤ちゃんから飼うのはもう無理かなと思っていましたし、ワンちゃん自体、飼えないんじゃないかと諦めていました。
そこで、「人間のパートナーは必要ないですか?」と聞くと、「まったく興味ない!」ときっぱり。
「私は恋多き女ではなくて、恋深き女なんです。なにごとも掘り下げるのが好きなもので」
昨年、著書『もう68歳と思うのか、まだ68歳と考えるのか』を出版。自分の年齢に向き合う生き方についてつづっている。
「私くらいの年齢になると、『もう69だから』と年のせいにする人がほとんど。でもそれは自分に負けていること。私は、『まだ69歳』と考えるように心がけています」
老後や終活はまだ遠い先のようだが、一人暮らしの自分の身を案じる日もある。10月に震度5強の地震が東京を襲った日、自身のブログにこう本音をつづっていた。
《何もない時は良いけど 天災や私の体に異変が起きた時 私は多分…誰にも気付かれず1人…孤独死だろうな 覚悟しとかなきゃ》
「本当にそう思っています。寝るときはちゃんと身だしなみを整えておいたほうがいいなあとか、いろいろ考えますよ。それはネガティブじゃなくて現実のこととして。
エンディングノートを書いたりしたことはありません。でも、常日ごろ、『いつ逝っても悔いのないような人生を送ろう』とは心がけています。たとえば、メッシもいつかは引退するわけですから、現役の間にこの目に焼き付けておこう、と。
だから、サッカーは見たいときに見るの、たとえ睡眠時間が2時間になっても(笑)。独り身の寂しさなんて感じている時間はないんです」
来る12月25日、東京プリンスホテルでクリスマスディナーショーを開催する小柳さん。全ての記念イベントが中止になった1年前のリベンジに燃えている。
「バンド演奏でダンサーもつけて、私の本領発揮になると思います。踊りまくるでしょうね(笑)」
生涯現役を宣言する横顔は、凜とした強さと覚悟がうかがえる。
「昨年、コロナの影響でまったく仕事がない時期もあって、一時は引退を考えるほど絶望しました。でも、いまは歌手を続けること以外の選択肢はないと思っています。この仕事は、いまだにいろんな発見がある。もっともっと歌がうまくなりたいです」
最後に、「10年後も脚を出して踊りますか?」と尋ねると、
「平気よ! そういう仕事があればいつでも出したいくらい(笑)」