【前編】高田馬場名物立ち食いそば屋が閉店に 女性店主供する天玉そばの味染みてから続く

「天ぷらそば。おばちゃん、卵も落としてね」 「はい、いつもの天玉そば1丁! 今日も暑いわねえ」

東京・JR山手線の高田馬場駅改札から、徒歩30秒。

駅前の早稲田通りの横断歩道を渡ったすぐ角に、カウンターのみ8席の立ち食いそば「吉田屋」はある。

紺色のそば屋の暖簾のすぐ上に寿司屋の看板もある独特の店構えだが、その理由はのちほど。

〈かけ370円 月見420円 天ぷら470円〉

店頭のメニューでわかるとおりの良心価格と、関東風ながらさっぱりとしたうま味のだしがウリだ。

誰もが「馬場」と呼ぶこの街は、早稲田大学はじめ専門学校や予備校がひしめく学生の街。さらに山手線に加え西武新宿線と地下鉄東西線が乗り入れていてサラリーマンの乗降客も多い。

この立ち食いそば激戦区にある吉田屋で、次々と暖簾をくぐって訪れる常連客たちから「おばちゃん」と親しみを込めて呼びかけられていたのが、店主の草野彩華さん(73)。ライトブルーに染めた髪の毛をトレードマークにして、昭和、平成、令和と、わずか3坪の店に立ち続けてきた。

「うちの一番人気は、今も注文のあった天玉そば。天ぷらに卵で、一杯で栄養も満点でしょ」

〈サイフ、マスク、カバン、スマホ、カサを忘れないで!〉

立ち食いそば屋らしい店内の張り紙の脇に、6月末、こんな新しいメッセージが掲げられた。

〈吉田屋そば店は、2022年7月31日を以て閉店いたします。46年の長きにわたり、ご愛顧いただき誠にありがとうございました。吉田屋そば店主 草野彩華〉

ふうふう言いながらそばを食べていた男性客が言う。

「おばちゃん。このお店、7月で終わっちゃうんだって? 残念です。学生のころからだから、もう10年以上、通ってたのにな」 「私たちも、本当に残念なの」 「区画整理だそうですね……ごちそうさま。また来ます」 「まいど。最後までよろしくね」

彩華さんは、1歳のときから、ここ馬場で育ってきた。そば屋を始めてピーク時には1日800杯を供したというから、最盛期ということを差し引いても、700万回近くのお客との交流があったことになる。

それだけに、閉店は自身にとっても「断腸の思い」であり、その心労もあってか、6月初めには緊急入院もしたという。

「心の故郷」ともいえる高田馬場での生活も残りわずかとなった今、立ち食いそば屋のカウンター越しに目撃してきた半世紀にわたる学生街の変遷を語ってもらった。

■ピークは1日800人のお客さんが。学生運動の熱気が店を包み込むことも

「吉田屋」の創業が76年。彩華さんは28歳だった。

その2年前には、今でも馬場のランドマークであるBIG BOXも完成して、学生の街はいちだんとにぎやかさを増していた。

「開店したとき、かけそば110円でした。それがね、最初からお客さんが来てくれたの。やっぱり場所と時代がよかった。企業戦士なんて言われ始めたころでしょう。少しでも時間を節約したいサラリーマンや、お金のない学生さんに喜ばれました」

「ピークのころは、1日800人のお客さんも。うちは8人でいっぱいになる狭さだから、いつも店の前に行列ができている状態でした」

社会的には、70年代の初めごろまで、学生運動の熱気が駅前のそば屋を包み込むこともあった。

「父は、よく学生さんと機動隊がやり合う場面を見に行ったりしていましたね。

私が覚えているのは、店に来る学生さんは、とてもピュアな印象だったこと。貧しいけど、何事にも一生懸命。逆に今の学生さんは世間にも関心が薄いといいますか、昔より会話もぐんと減ってしまったのはちょっと寂しいです」

■毎日同じ時間に通う常連さんは、顔色を見ただけで体調までわかる

「私のうちはどこでしょう?」

あるとき、暖簾をくぐるなり、高齢の女性が、カウンター越しに問いかけてきた。彩華さんは、しばらく話し相手になって、それから近くのBIG BOX改札口横の交番へ同行した。

「きっと、認知症だったんですね。

立ち食いのうちの店は、いつも引き戸が開いてるから、入りやすかったのかな。

早朝の酔っぱらいのケンカも、何度止めたかしら。タトゥーを自慢する10代の男のコに、『親からもらった健康な体に感謝して』と諭したこともありました。

10年くらい前に、やっぱり暖簾越しに、タレントの赤井英和さんが駅前に立っているのが見えたんです。私が“どうぞどうぞ”って手招きしたら(笑)、本当に横断歩道を渡ってきてくれて。聞けば大の立ち食いそばファンだそうで、その後も何度かみえました」

学生時代からサラリーマンになっても通い続け、さらに結婚して子供ができて、その子がまた早稲田大に入って来店するという、長い付き合いの常連客も多い。

「なかには、父の寿司屋のころから3代にわたって通ってくれている人もいます。毎日、同じ時間に、同じそばを食べ続ける人も多くて。そんな常連さんは、顔色を見ただけで体調までわかるんです」

ときには、こんな会話も。

「お客さん、最近、ちょっと疲れがたまってるんじゃない。今日はそば食べたら、早引きさせてもらって家で寝てなよ」

「おばちゃんには噓をつけないね。ここんところ残業続きでさ」

彩華さんは、言う。

「これぞ、うちみたいな個人経営の立ち食いそば屋だからこその会話だと思うんです」

■「この馬場の駅前で50年も前からやってるわよ!」と言い返せないのは寂しい

病気療養でいったんは店を休んでいた彩華さんだが、7月に入り“最後のお務め”で、また吉田屋のカウンターに復帰した。

「おばちゃん、久しぶり」

暖簾をくぐってやって来たのは、学生時代からいつも天ぷらそばを食べていた常連客だった。

「あら、久しぶり。ずいぶん顔を見ないから、転勤でもしたのかねえ、なんて話してたのよ」

「そのとおり。九州に転勤だったんだよ。でも3年ぶりに、おばちゃんのそばを食べて、やっと東京に戻ってきた気がしたよ。やっぱりそばは関東風に限るね。それにしても、おばちゃん、まだ、やってたんだね」

彩華さんは、

「“まだやってたんだ”という冗談半分の言葉にも、以前なら『うちはこの馬場の駅前で、50年も前からずっとやってるわよ!』と元気に言い返せたのに、もう、そのセリフは言えないんですよね。それを思うと、やっぱり寂しいわね」

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