「聖子ちゃんの“変顔”が見られるなんてね。少しずつ沙也加さんの死を乗り越えられているのかなって感じました。
愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失って半年。全国ツアーに邁進する松田聖子(60)は武道館公演を迎える。大阪公演では歌詞を間違えてしまったが、とっさにおどけた顔を見せて、観客を和ませるシーンも見られた。
沙也加さんのデビュー曲『ever since』を歌い、「娘は天国に旅立ちましたが、私の心の中にずっと生き続けています」と語った聖子。自宅のリビングには、白いユリが大量に生けられているという。聖子の知人が語る。
「こだわりがあるのかと聞いたところ『さやは《Lily(リリィ)》の名で活動していたこともあるでしょ。それに、あの子の結婚式のブーケも白いユリだった。だからさやのことを思い出すように飾っているの』と話していました」
《リリィ》とはユリの意。やはり、沙也加への思いを込めていたのだ。
また、聖子の長年の仕事関係者は、今回の公演で見せる彼女の“表情の変化”をこう語る。
「これまでの聖子さんにはすごみと張り詰めた怖さがあったんですが、今回のツアーではいい意味でそれがなくなって、優しさを感じられることが多くなったんです。
そんな思いを同じように抱いているであろう聖子の母、蒲池一子さん(89)の姿も、やはりツアー会場にあった。
一子さんは’80年に聖子が芸能界にデビューすると、愛娘を支えるために福岡県から上京。2人で夢を追いかける姿は“一卵性母娘”とも呼ばれた。しかし、その関係も’12年に断絶してしまう。
「聖子さんは一般男性と再婚する際に、“愛人”とも報じられた男性マネージャーとの関係を清算せず、そのまま雇用し続けました。そのことを一子さんに咎められてから、母娘の関係は冷えていったといわれています」(芸能関係者)
また聖子は、沙也加さんとも交際相手を巡って仲違いするなど、たびたび確執が報じられた。加えて一子さんと沙也加さんもまた、’17年に関係が悪化してしまう。
「沙也加さんと俳優の村田充さん(44)の結婚に、聖子さんだけでなく一子さんも反対していたんです。そのため祖母と孫の間にも亀裂が生じてしまいました……」(前出・芸能関係者)
一時は3世代が完全に断絶したとも伝えられた家族。しかし、’18年8月に本誌が取材した際、一子さんは報道を一笑に付した。
「娘は私のことをいつも心配して『そばにいないと何があるかわからないから、一人でいたらダメ!』って言ってくれて。だから全然、(母娘の仲は)大丈夫なんですよ」
年月を経ることで聖子と一子さんの母娘関係は徐々に修復。
一方の沙也加さんは突然この世を去ってしまった。しかし、実は彼女が生前、祖母のことを思い、ある行動に出ていたとわかった。芸能プロダクション関係者が語る。
■「もっとテレビでも活躍してCMを増やしたい」
「沙也加さんは亡くなる少し前に、大手事務所と業務提携していたんです。その理由は、『舞台だけでなく、もっとテレビでも活躍してCMを増やしたい』というものでした。一子さんが年齢的に体調不安を抱えていることもあり、自分が活動の場を広げて収入を増やすことで、“おばあちゃんに楽をさせたい”という強い気持ちがあったんだと思います」
沙也加さんもまた、祖母との関係修復を望んでいたのだ。その伝えられなかった思いを受け止め、聖子と一子さんは前を向き、日々を過ごす。前出の聖子の知人が、ある日の秘話を明かしてくれた。
「先日、聖子さんのスタッフのひとりが、ご自宅に化粧品などを届けに行ったときのことだそうです。アイスコーヒーを持った一子さんが対応してくださったのですが、『この間ね、私が『青い山脈』を歌っていたら、法子(聖子の本名)が来て“お母さんは奈良光枝さんのパートを担当して。私は藤山一郎さんのパート”って言って、一緒に歌ってくれたんですよ』と、うれしそうに話してくれたそうです。
ファンにとっては何ともほほ笑ましい奇跡の合唱!
デビュー当時の聖子をよく知るカメラマンのYAHIMONときはるさんに聞くと、’49年発表の『青い山脈』は一子さんの青春ソングだという。
「聖子さんの幼少期に一子さんがよく歌っていて、聖子さんも記憶していたと聞いています。萩本欽一さん(81)司会の歌番組『オールスター家族対抗歌合戦』(フジテレビ系)に聖子さん一家は何度も出演しましたが、そのとき一子さんは、本当は『青い山脈』を歌いたかったそうです。
しかし生前のお父さまがその曲をよく知らなかったため、『東京ナイトクラブ』にしたこともありました。聖子さんは当時のことを覚えていて一子さんを気遣って歌ったのでしょう」
思い出の“蒲池家の歌”は、いまや沙也加さんへの鎮魂歌ともなったのだった。