「ここは貧困状態に陥ってしまった人やDV被害者たちをかくまう“シェルター”として使っていた所。もちろん信者や、いわゆる2世が滞在していたこともあります」

福島県白河市の住宅街の一角。

老朽化し、現在はシェルターとしては使っていないという古い民家の玄関扉をこじ開けるように開いたのは、日本基督教団白河教会の牧師・竹迫之さん(55)。

7月8日に起きた安倍晋三元首相の銃撃事件を機に、「世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会。以下、旧統一教会)」に世間の衆目が再び集まっている。元首相を襲った山上徹也容疑者(41)が動機を語るなか、名前を挙げたのが旧統一教会だった。

供述によれば、容疑者の母親は熱心な信者で、およそ1億円を献金し破産、家庭は崩壊してしまう。そして、元首相が旧統一教会とのつながりが深いとの思いから、恨みを募らせ、犯行に及んだという。

旧統一教会は’54年、韓国で創設され、’64年には日本でも宗教法人の認可を受けた。’80年代から’90年代になると「先祖の因縁だ、祟りだ」と不安を煽り、壺など高額な品物を売りつける「霊感商法」が社会問題化。さらに、教団がマッチングした男女の集団を一堂に集めて行う「合同結婚式」にも、奇異の目が向けられることに。

じつは、竹迫さん自身、10代の終わりに旧統一教会の信者だった経験がある。脱会し、25歳で現職の牧師に就いた。以来30年間、自らの経験をもとに、ずっとカルト問題と対峙してきた。

こと、旧統一教会に限っても、3桁を優に超す相談に乗り、多くの信者を脱会に導いた。

■「映画が見放題」誘われて入ったサークルが統一教会の「ビデオセンター」だった

竹迫さんは’67年、秋田県に生まれた。

「小学校4年生のとき『スター・ウォーズ』を見て衝撃を受けて。以来、『僕も映画を撮りたい』、そんな思いに取りつかれてました」

憧れを抱き続け、映画学科のある日本大学藝術学部を受験。まさに、その受験当日だった。試験後、池袋に立ち寄ったのが、転機となる。早生まれの竹迫さんは、まだ17歳だった。

「駅前で声をかけられました。『自分たちは映画を見て人生の勉強をするサークルです』と」

いかがわしいと思った。しかし「月会費2千500円で、映画のビデオが見放題」という誘い文句に心が揺れた。

「レンタルビデオを借りるより得なんじゃないかって。後日、自分から訪ねていきました」

じつはその施設こそが、旧統一教会の「ビデオセンター」だった。

「そのときは、そこが宗教の施設だなんてわかりませんでした。ただ、見られるのが『十戒』や『天地創造』など、キリスト教関係の映画ばかり。意味がわからないな、と思っていると、『聖書の知識がないとわからないでしょ、聖書の勉強をしてみない?』と言われて」

そこからは、ある種のビデオばかりを見せられるようになった。

「聖書の読み方を説いていると言われ、教義の解説ビデオを見続けました。3カ月ぐらいしてからですね、『私たちは統一教会という団体です』と打ち明けられたのは」

1泊2日の合宿にも参加した。

「合宿中『神様はいます、メシアは実在します』と教えられ、メシアとはいったい誰なのか、知りたくなりました。やがて、それが文鮮明という人だと教えられるころには『メシアの下僕として働きたい』と思うようになっていました」

1浪後、念願の日大藝術学部進学を果たす。しかし、入学と同時に竹迫さんは家出。旧統一教会の施設でほかの信者たちと共同生活を送りながら大学に通った。

「そんなことをしていたら、親が心配して連れ戻しに来たんです。すると、組織から『お前の家は反対がきつい、ほとぼりが冷めるまで北海道に行け』と指示されて」

それは、ワンボックスカーの荷室で寝泊まりしながら、北海道を回る秘密のキャラバン隊だった。

■売り上げは子どもたち支援にと嘘をつき500円ほどのハンカチ3枚セットを3千円で販売

「戸別訪問しハンカチを売るんです。

本当は500円ほどのハンカチ3枚セットを3千円で。『売り上げは恵まれない子どもたちの支援に』と噓をついて。完全な詐欺です」

ところが、竹迫さんはキャラバンのさなか転倒。左足首を骨折し、帰京を余儀なくされる。

「池袋にあった旧統一教会の病院で治療を受けるはずでした。でも、内部でもハンカチ売りは極秘扱いだったので、その露見を恐れたんでしょうね。『自宅で治してこい』と言われ、帰されたんです」

数カ月ぶりに帰宅すると、両親のほか、旧統一教会の内実に明るい人たちが集まっていた。

「家出している間に両親は、脱会させる準備を重ねていた。足を負傷し自由に動けない私は1週間、組織のスキャンダルが書かれた記事や資料を見せられながら、缶詰め状態で説得を受けました」

それでも、心は動かなかった。

「スキャンダルを見せつけられても『だから何?』と。世界を救うには、時に違法行為だって必要だろ、ぐらいの気持ちでした」

■「やめる」と噓をついて教団に戻るつもりが“スパイ扱い”されて、暴力を受けた

組織から「きつい説得を受けたら『やめる』と噓をついて逃げ出せ」とも教えられていた。

「私も『やめる』と言いました。

両親から『友達はどうするんだ?』と聞かれてしまって」

じつは竹迫さん、高校の同窓生を7人、勧誘していた。

「仕方なく『彼らにもやめるよう勧める』と答えると、私を単独で行かせることを不安視した両親が、牧師を同行させた。監視役ですね」

松葉杖をつきながら、牧師を伴い、友人宅を回った。

「表向きは脱会しても、隠れキリシタンのように信仰を続けようと思っていた。でも、監視役の手前、友人たちにはそうも言えず……」

友人のなかには牧師が見せた資料を目にして、ショックを受ける者もいた。彼らは竹迫さんの偽りの説得に、次々と折れていった。

「そのうちの1人がビデオセンターに電話してしまった。『竹迫が牧師を連れ説得に来たのでやめます』と。すると、旧統一教会では『竹迫が裏切った』という話になって」

本心ではやめるつもりはないのに、家には脅迫まがいの電話が。そこで竹迫さんは、釈明に向かう。

「でも、旧統一教会の建物の手前で、信者たちに取り囲まれ、杖を取り上げられ、路地裏に引っ張り込まれて。『スパイは帰れ!』って腹を3回、蹴られました」

自身が暴力の標的になって初めて、竹迫さんは、なぜ社会が彼らを危険視するのかを「身をもって知った」のだった。

信者となって1年8カ月がたった’86年、竹迫さんは19歳で脱会に至った。

■大学で聖書を学ぶと、旧統一教会がいかに歪んだ聖書の読み方を教えていたのか分かった。

大学は中退。鬱々と日々を過ごしていると、くだんの牧師に声をかけられた。

「忙しくてかなわない、手伝ってくれないか」

彼のもとには、旧統一教会に子どもが入信してしまった親たちが、多数、相談に来ていた。

「それで私も、彼がいる所沢の教会に連日出向いて。相談に来た家族や、脱会を促されている信者の前で、自分の体験を、ありのままに話すようになりました」

実体験を交えた話を聞いて、脱会を決意する信者が続いた。

「これで、自分は裏切り者になったんだなと。もう、絶対に戻れないと確信しました」

そこで、改めて竹迫さんは聖書を読んでみようと考えた。多くの人が「旧統一教会は間違っている」と言う。ならば、聖書をきちんと読めば、彼らの言っている意味がわかると思ったのだ。しかし、旧統一教会では、聖書を独自の解釈で読んでいたという。

自分たちを正当化するように、都合よく、かいつまむようにして。

「聖書について『正しい読み方を教えてほしい』と牧師に頼み込みました。3カ月ほど教会に通ううちに彼から『聖書のことを正しく教えてくれる学校がある』と教わったんです。それが東北学院大学のキリスト教学科でした」

竹迫さんは21歳のとき、同学の門をたたく。

「半年も学ばないうちに彼らにはまず目的があり、そのためにキリスト教を悪用していたにすぎない、そう思いましたね」

大学を卒業して、竹迫さんは牧師になった。

■本人を人間として尊重してあげれば、信者は自主的にやめていくことに気がついた

「最初の青森の教会で10年、その後、白河に移って今年でちょうど20年です。牧師になって以降、旧統一教会関連の相談はさらに増えました。でも青森時代、脱会支援はあまりうまくいきませんでした」

竹迫さんによれば、当時は脱会を促すため、信者を半ば監禁状態において、こんこんと説得を続けるという手法が主流だったという。

「でも、旧統一教会側も事前に予防線を張るようになって。だんだん、説得に要する時間が長くなっていった。いくら家族主導だからって、半年近くも監禁して逆洗脳みたいなことをするなんて、人道的にも許されませんしね」

白河教会に赴任後も、相談は相次いだ。そして、ちょうどそのころ、竹迫さんは、信者を脱会に導く手応えをつかんだという。

「白河に来て以降は直接対面せず、家族に『こんな話をしてみて』と指示を出して、リモート的に関わるようにしていったんです。すると、あるころからやめる信者が増えてきて。そこで気がついたんです。やめさせようとするよりも、まずは本人を人間として尊重してあげること。家族間の正しい関係性を築くことができれば、あとは本人が自主的にやめるということが、だんだんわかってきたんです」

なかには長い歳月をかけ、脱会に結びつけた信者もいたという。

「まず、家族と本人のコミュニケーションを増やすよう促しました。数年後には信者本人も、家族に心を開くように。彼は転職を繰り返していて、就いた仕事が3カ月と続かなかった。そこで私は彼の家族に『いつ仕事を辞めてもいいよ』『たとえ仕事がなくても、あなたは、あなたなんだよ』という言葉をかけてくださいと、話しました」

果たして、最初の相談から7年後、彼は自力で旧統一教会を脱会。いまは社会福祉士として障害者施設で仕事に従事しているという。

■竹迫さんはかってハンカチを売った家々を捜し歩いたこともあるという

「じつは2年ほど前、大動脈解離という病気になりまして。発症時点ですでに危なかったらしいのですが、手術中にも6分間、心臓が停止していたと。つまり私は、2度ほど天国に行きかけたわけで。そんな経験をしたからか、先のことは、あまり考えなくなりました」

旧統一教会を離れてからの10年間は、不眠にも悩まされていたという。そして、いまも薬の手放せない生活が続いているようだ。

「朝はどうにも、薬の影響なのか、ぼーっとしてしまう」

教会の通常の仕事だけでも多忙なうえ、竹迫さんは、信者やその家族、そして2世たちの支援活動を精力的に続けている。相談の電話が深夜に及ぶことも、決して珍しくはない。

心身とも満身創痍の状態で、そこまでできるのはなぜなのか。

「信者や2世と関わっているほうが、むしろ気持ちは楽なんです」

竹迫さんは、かつて自分がハンカチを売った家々を、捜し歩いたことがあるという。

「当時は、その日に回る場所だけを切り取った地図のコピーを渡されたので。自分が北海道のどこにいるのか、さっぱりわからなかった。ただ、地図に五角形のなにかがあったのを覚えていて。後々、あれは五稜郭だったんだと気づいたんです。それで、何度か函館まで足を運んで、かつて自分が騙してしまった人たちを捜しましたが……、結局、一軒も捜し当てられませんでした」

竹迫さんは贖罪の気持ちがあるからこそ、支援の手を緩めようとは、決してしないのだ。

「だけど、自分が実際に迷惑をかけた人とは違う人たちを、いまは支援しているわけです。自分が騙した人がどこかにいる、その事実は動かないことも理解しています。それでも、やらずにはいられない、というのが正直な気持ちなんです」

【後編】元信者で脱会支援する牧師「統一教会2世は、親を否定すると自分はいなくなる」へ続く

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