「今年の6月に、入院中だった最愛の母が亡くなりました。寂しいですが、お別れするまで娘として精いっぱいのことができたと思うので、後悔はないんです」
そう話すのは、歌手の坂本冬美さん(55)。
母の優子さん(享年77)は、いちばんに応援してくれた。父を失い、どん底の気持ちで引退を決意したときも、背中を押してくれたのは優子さんだったーー。
坂本さんの父は、’97年に、交通事故で突然この世を去った。
「父との別れは突然すぎて、20年以上過ぎても、今もどこか信じられない。父は、私と一緒にやりたくて、ゴルフをはじめたんです。亡くなるひと月前に一緒にゴルフをして、その後、お茶に誘われたけれど、飛行機があるからと別れて……。それが最後になりました。そのときの父の寂しそうな目が今も心に残っています。父には、もっといろいろしてあげたかったと悔やむ気持ちが強いんです」
父の死に、母の優子さんも深くショックを受けていたという。不安定になっていく母の姿を見て、坂本さんは、歌手活動を一時休業。ひそかに、’02年のデビュー15周年での“歌手引退”も決心していた。
「当時は母を一人にして寂しい思いをさせちゃいけないと、毎月、和歌山の母の元に戻っていました。母との時間を大事にしなきゃとするあまり、私自身も心も体も調子を崩して限界を感じていました」
休業中は、和歌山の実家で母と支え合って過ごした。
「あるとき、気丈な母が泣き崩れることがあって。私も母を後ろから抱きしめて、2人で抱き合って泣いたこともありました。母のことを心配しながらも、私の心もここにあらずで、私自身も抜け殻になっていたんです」
そんな娘を見て優子さんは、次第に、「この子は歌をとったら何もない。歌っているときがこの子はいちばん幸せ」と、復帰への背中を押してくれたという。
「『テレビで二葉百合子さんのコンサートやっているから見たほうがいいんじゃない』と……このときの『岸壁の母』が胸に突き刺さって……。母は、『こっちのことは心配しなくていいから』と励ましてくれました」
また、母とつらい時期を過ごしていたときに、親友も助けてくれた。歌手仲間の藤あや子さん(61)と伍代夏子さん(60)だ。
「あやちゃんも夏ちゃんも私より少しお姉さんで、『私たちがついているから何も心配しなくていいのよ』と声をかけてくれました。ありがたかったです」
そして’03年、歌手活動を再開! 復帰した娘に母は叱咤激励を続け、東日本大震災のあとは一喝されたこともあったと、坂本さんは笑う。
「母が毎日、電話をかけてきて、『〇〇さんは義援金送ったんだってよ』と連日続き、やがてしびれを切らして、『冬美、お前は何をしているんだ!? 裸一貫で出ていって皆さまに大きくしてもらったのを忘れたのか? 今失って何も怖いものはないだろう』と。
そういえば、「母は“ふるまいの人”だったと、ご近所さんが教えてくれて」と坂本さん。コーヒーを飲みにいくといつも優子さんが支払う気前のよさだったそう。
「『でもいつもボロボロの服を着てて。冬美ちゃんもっといいものを着せてあげればいいのに』と母に話したものだと、私に教えてくれました(苦笑)」
■鎧もなく、自分を誇れる歌手人生を送りたい
優子さんは、かつて娘にこう話していたという。
〈冬美が歌手になったからって、田舎には田舎の生活があるから、私は今までどおり何も変わらない。たまたま娘が歌い手になっただけ〉
そんな坂本さんの最愛の母、優子さんは今年の6月25日に旅立った。坂本さんは先月、地元の和歌山で初盆を迎えて見送ってきたばかりだという。
「母は、父から熱烈なラブコールを受けて結婚し、20代で3児の母になりました。子育てに必死だったんでしょう。子どものころの母は、怖い存在でした。肝の据わった人で、母が浮かれている姿は一度も見たことがありません」
歌手活動も誰よりも応援してくれた母と、最後はじっくりと親子の時間を持てたと話す。
「数年前から手術や入院と最後まで病院でしたが、亡くなる3日前、3時間ほど一緒に過ごせたんです。
連絡を受けて駆け付けた坂本さん。一時は危篤状態に陥った優子さんは、病室で娘と再会すると、次第に苦しまなくなったという。
しかし、別れの時はやってきた。
「その後、容体は2日くらいは少し回復したのですが、3日後に亡くなりました。母には娘として精いっぱいやれたので、寂しいけれど、父のときのような後悔はありません。父と母では亡くなり方も全然違いますから」
母を見送った今、今後の歌手人生に新たな目標もできた。
「これまでは、私は『母を喜ばせたい』の気持ちが強かったんです。でも母も亡くなった今、鎧もなく素の自分で、純粋に自分の好きな歌、芸の道を歩んでいこうと思います。ファンの皆さまのためという前提はありつつ、自分を誇れる歌手人生を送りたいな~と思ってます。母も『それでこそ私の娘』と思ってくれるはず」
そんな節目の今年、坂本さんは初の著書『坂本冬美のモゴモゴモゴ』(光文社刊)を出版。デビュー曲『あばれ太鼓』から桑田佳祐が楽曲提供した『ブッダのように私は死んだ』(’20年)など57曲にまつわる秘話を綴った。
「お父ちゃんは、心配そうな目でずっと見守ってくれていると思うし、お母ちゃんはきっと天国でお父ちゃんと再会できて、喜んでいますね」
坂本さんはそう、晴れやかに笑った。