濃紺のスーツをお召しの雅子さまは国立沖縄戦没者墓苑で、天皇陛下とともに供花し、黙祷を捧げられた。

参拝のために墓苑のある平和祈念公園を訪れていた74歳の男性は、こう語った。

「戦争では祖父母と従軍看護婦だったおばが亡くなりました。今日、天皇皇后両陛下がこの地に来てくださってとてもうれしいです。沖縄での慰霊は、上皇ご夫妻から両陛下が受け継がれましたが、これからもずっと引き継いでいっていただきたいと願っています」

10月22日・23日、天皇陛下と雅子さまが沖縄を訪問された。皇室担当記者によれば、

「両陛下の沖縄ご訪問は令和になって初めてのことです。お二方でのご訪問は、’97年7月以来、25年ぶりのことになります」

コロナ禍のため、両陛下は地方ご公務も自粛されていた。

「宿泊をともなう地方でのご公務は約3年ぶりです。沖縄県が両陛下の本格再始動の地となったことは感慨深いですね。雅子さまは長期ご療養中ですが、沖縄ご訪問のために、1カ月以上前から体調を整えられていたそうです。

皇族の方々はこの地を訪れると、激戦地の一つである糸満市へ真っ先に向かわれます。10月22日に那覇空港に到着された天皇陛下と雅子さまも、糸満市にある沖縄平和祈念堂、国立沖縄戦没者墓苑、平和の礎、沖縄県平和祈念資料館を巡られたのです」

太平洋戦争末期、沖縄では住民を巻き込む凄惨な地上戦が行われ、多くの人々が犠牲となった。平和の礎には、沖縄戦などで亡くなった軍人や民間人、24万人以上の名前が刻まれている。

「太平洋戦争は“昭和天皇の名前”によって行われました。

そのため多くの民間人が犠牲となった沖縄県には、皇室に対して複雑な思いを抱く人々もいるのです。

そんな思いに対して、皇室も向き合い続けてきました。’75年には上皇さま(当時・皇太子さま)と美智子さまが皇族として戦後初めて沖縄の地を踏まれたのです。ひめゆりの塔で拝礼された際には、ご夫妻のそばに火炎瓶が投げ込まれるという事件が発生しています」(前出・皇室担当記者)

いわゆる「ひめゆりの塔事件」だが、その夜、上皇さまは次のような談話を発表された。

「多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」

それから47年、上皇さまの“犠牲者を悼み続け、沖縄に心を寄せ続ける”という誓いを、天皇陛下と雅子さまが継承されている。

両陛下は今年5月15日、「沖縄復帰50周年記念式典」にオンラインでご臨席。天皇陛下は次のようなお言葉を述べられた。

「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます」

名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんが、この式典での陛下のお言葉について解説してくれた。

「上皇ご夫妻が戦争を体験した世代であるのに対して、天皇皇后両陛下は戦後世代です。そのため慰霊を継承するにあたっても、意味合いは変わってくると思います。

式典のお言葉のなかには『一方で、沖縄には、今なお様々な課題が残されています』という踏み込んだ表現がありました。

米軍基地問題を含め、政府・自民党の政策には沖縄県民の感情に寄り添っているとはいえない面があります。

原則的に天皇陛下は政治的なメッセージを表明することはできませんが、ギリギリの範囲で問題を提起され、沖縄の人々に寄り添っているという姿勢を示されたのではないでしょうか。それが戦後世代の天皇としての新しい沖縄への向き合い方なのかもしれません」

■両陛下と上皇ご夫妻が沖縄の豆記者との思い出話を

ご訪問4日前の10月18日、天皇陛下と雅子さまは御所で高良倉吉琉球大学名誉教授から沖縄の歴史などについて説明を受けられた。

「1時間以上にわたり、メモをとりながら、熱心に高良名誉教授の説明を聞かれたそうです。もともと、このご進講は陛下お一人の予定として発表されていたのですが、雅子さまもご体調がよかったため参加できたそうです。“もっと沖縄の人々の心を知りたい”という、雅子さまのご熱意が伝わってきます」(宮内庁関係者)

さらに、その翌々日には美智子さまが米寿を迎えられ、両陛下も仙洞御所を訪問された。

「上皇ご夫妻と両陛下は、“沖縄豆記者”との交流の思い出話をされたそうです。豆記者は、沖縄から本土へ取材を通じて親睦を深めるために派遣された小中学生たちで、かつて上皇ご夫妻が東宮御所に招かれており、その後、彼らとの交流は天皇ご一家、さらに秋篠宮ご一家に受け継がれました。

お誕生日のお祝いのご挨拶の後、天皇陛下と雅子さまが沖縄ご訪問へのご意欲を明かされたことから、豆記者も話題にのぼったようです」(前出・宮内庁関係者)

雅子さまは初めてのご訪問から1年半後の歌会始で、平和の礎などがある糸満市摩文仁の光景を詠まれている。

摩文仁なる礎の丘に見はるかす空よりあをくなぎわたる海

雅子さまは今回の25年ぶりのご訪問の後に、どのような歌を詠まれるのだろうかーー。

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