「この国も災害やコロナ禍に見舞われ、いやが上にも歌の持つ役割を問われたとき、私ははっきりと、それは、“明るさ、豊かさ、潤い”を聞き手の心に送ることだと自覚しました」
10月25日、政府から文化功労者に選ばれた松任谷由実(68)は、こんなコメントを発表した。
今年、デビュー50周年を迎えたユーミン。
「これで’70年代から’20年代まで、6年代連続でアルバム1位となりました。前人未到の記録です」(レコード会社関係者)
そんな“世代を超えたカリスマ”が、自身のラジオ番組で驚きのエピソードを語っていた。9月16日に放送された、『松任谷由実のオールナイトニッポンGОLD』(ニッポン放送)の冒頭だ。
「私はね、日曜日にお母さんに会いに行こうかなと思って。すごい久しぶりなんだけど、郊外の施設にいるんですけどね。102歳!今年の頭にコロナになっちゃったの。それで、いよいよアウトかと思って……」
なんと、母が新型コロナに感染し、人工心肺装置・エクモも検討しなければならないほどの重い症状だったというのだ。
「エクモはできない年齢だから。高濃度酸素を与えてたらね。復活しちゃって! お医者さんがビックリしていたんだけどね」
語り手がユーミンでなくても驚く出来事だろう。無事にコロナから回復したユーミンの母・荒井芳枝さんは、東京・八王子の創業100年を超える老舗呉服店の経営者だった。
「100歳を超える高齢者がコロナで助かるケースは非常にまれです」と語るのは、帝京大学大学院公衆衛生学研究科の高橋謙造教授。
「厚生労働省が今月発表した各年代の重症化率データで、30代を1とした場合、90代以上では78倍も重症化リスクがあります。
高齢者の場合、たとえ重症でも体に負担が大きいエクモの使用は考えにくく、酸素補助は人工呼吸器まででしょう。それ以外には、鼻に管を装着し加湿した酸素を送る治療法が考えられます。人工呼吸器と異なり患者の意識が保たれ、会話や飲食が可能で、生活の質が維持しやすいとされます」
ユーミンは「高濃度酸素をあんまり与えると弱くなっちゃうから薄めたりしつつ」と語っており、医療関係者の尽力が功を奏したことがうかがえる。 そんな“奇跡の生還”を果たした芳枝さんのことを折に触れて語るユーミンだが、50年前のデビュー当初は歌手活動に関して必ずしも快く思われていなかった。
《母はもともと、私がステージで歌うなんて反対していた人》
ユーミンは『anan』10月5日号のインタビューでもそう答えている。
呉服店で忙しかった母は、娘の仕事に関心がなかったそうだ。
■母を撮影するためにガラケーからスマホに
「芳枝さんは大ヒットした『ひこうき雲』のことをお店のお客さんに言われて、ようやく娘の曲だと知ったくらいです」(芸能関係者)
デビュー50年を記念して松任谷由実の半生をつづった『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』(山内マリコ著)の中には、こんな一言が書かれてている。
《女の子の将来がけして明るいものではないことを知る芳枝は、二階の居間でテレビを囲んでいるときにふと、釘を差すようなことを言ったりした。(略)「由実ちゃん、芸能界に行くのだけはおよしよ」》
決して“ベッタリ”ではない親子関係だったが、パワフルで個性的な母の影響はユーミンにとって大きかった。
「ユーミンがほかの歌手に楽曲を提供する際に使うペンネーム『呉田軽穂(くれたかるほ)』が、スウェーデンの世界的女優、グレタ・ガルボをもじったものであることは有名ですが、芳枝さんが昔の洋画や舞台が大好きだった影響なのです」
ユーミンの人気は長く続き、芳枝さんも次第に理解を示していく。結婚したユーミンもまた、母との距離を縮めていった。ユーミンを長年取材してきたカメラマンのYAHIMОNときはるさんは語る。
「’11年7月13日にコンサートを見に行ったときのことです。私は幸運にも芳枝さんの隣に座ることができました。ユーミンが“私の母は私よりおしゃれで派手”といつも言っていたとおり、車いすで介護の方にケアされながらも、とってもおしゃれでした。アンコールの終了後、“ねえ、最後の衣装がいちばんいいわよね。銀幕スターみたいじゃない?”と気さくにしゃべりかけてくださったんですよね」
’16年に発売されたアルバム『宇宙図書館』に収録されている『Smile for me』には、ますます大きくなる母への思慕が込められていると、YAHIMОNときはるさんは続ける。
「これは芳枝さんをイメージして作られた曲です。ユーミンが芳枝さんの入所している施設に行き、スマホで『わらって』と言いながら撮影したときの情景を歌詞に描いているのです。それまでユーミンはガラケーでしたが、お母さまを美しく撮影したくてスマホに替えたのだそうです」
数々の偉業による文化功労者選出よりも、コロナに打ち勝ち、キャリア50年を見届けてくれた母の存在が、ユーミンにとっていちばんの喜びとなっているのだろう。