住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、映画館で見た洋画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

「映画『タイタニック』(’97年)は、劇場やレンタルビデオ、テレビの再放送で何回も見ました。公開当時、カラオケに行くとテーマ曲のセリーヌ・ディオンの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』(’97年)で大盛り上がり。私は、レオナルド・ディカプリオがスターになる以前の作品からファンだったので、そんな“レオ様ブーム”のなか“前から目をつけていた”と、妙な優越感を持っていました(笑)」

こう振り返るのは、タレントで女優の井上晴美さん(48)。高校入学を機に上京してから多くの映画に刺激を受けたが、生まれ育った熊本の故郷は、東京とは正反対の田舎町だった。

「刺激どころか、近所にはコンビニもありませんでした(笑)。小学生、中学生のときはスイミングスクールに通っていたので家に帰るのが遅く、『ザ・ベストテン』(’78~’89年、TBS系)の放送終了にやっと間に合うくらい。いつもランキング上位だった(松田)聖子ちゃんは見られたので、あのフリフリの衣装に憧れました」

漫画も好きだった。妹のあさりと姉のタタミの姉妹ゲンカなどが描かれている『あさりちゃん』(’78~’14年、小学館)を愛読。

「私にも2歳上の姉がいたから、激しく共感していました。中学生のときに、友達のお姉さんに薦められて『ホットロード』(’86~’87年、集英社)にハマりました。女子中学生と暴走族の男のコとの恋愛を描いた作品ですが、まだ恋愛経験のない私にとっては、とても大人の世界に思えて」

年を重ねるごとに、憧れのアイドルも成長していった。

「フリフリ衣装だった聖子ちゃんが、『抱いて…』(’88年)を歌うころには大人キャラになっていたのに驚き、“人って変わっていくものなんだな”と感じました」

同時期に注目していたのが、中山美穂だった。

「衝撃だったのが『毎度おさわがせします』(’85年、TBS系)。エッチなセリフやシーンがあって、アイドルに演じさせていいのだろうかと思うくらい。当時はテレビで洋画や2時間ドラマなどを見ていると、今では見られないような濃厚なラブシーンがあって、お父さんがチャンネルを変えたりすることもありましたよね」

中山美穂は、その後も『ママはアイドル』(’87年、TBS系)や『君の瞳に恋してる!』(’89年、フジテレビ系)など多くの人気ドラマで主演を飾った。

「いろんな役を演じ分けられるし、ドラマだけでなく歌番組やCMなど多方面で活躍する姿を見て、アイドルになりたいと思うようになったんです」

中学時代から熊本県の芸能プロダクションに所属し、モデルの仕事を始めた。

「たまに東京に撮影に行くことも。とにかく大都会で“何かを成し遂げるなら、こういう場所なんだろうな”と思っていました」

■同じ年のディカプリオの演技力に感動

’91年、16歳のときに単身上京。間もなく『桜っ子クラブ』(’91~’94年、テレビ朝日系)のメンバーに選出され、テレビデビューを果たした。

「所属事務所が原宿にあったので、竹下通りにもずいぶん行きました。ただ、スタッフから『クレープは太るからダメです』とくぎを刺されてしまって……。“アイドルは食べちゃいけないんだ”と、ちょっと残念でした」

まだ若くて人生経験も乏しかったが、その分、さまざまなものを吸収できた。

「尾崎豊さんが『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年、フジテレビ系)で、『太陽の破片』(’88年)を、まるでお芝居をするように歌う姿に、すっかり魅了されました。尾崎さんの曲に出合って、表現することにより興味が湧いたんです」

’92年、尾崎さんの追悼番組をきっかけに、さらに多くの楽曲を聴くように。

「『15の夜』(’83年)や『卒業』(’85年)は、あのころの私の気持ちを代弁してくれているかのよう。すごいカリスマ性も感じました。一方で、一緒に仕事をしていた尾崎さんを知る撮影スタッフからは、『ふだんは礼儀正しくて、偉そうなところがなく、楽しくご飯を食べたり飲んだりする普通の青年』と聞いていたので身近に感じる面も。すごく不思議な存在です」

尾崎さんとともに、刺激を与えてくれたのは映画だった。

「上京してから映画館に行くことが増えて、仕事帰りにタイミングが合えば、スタッフさんと『ちょっと行ってみようか』ということも。人と行くと、自分では興味のないジャンルのものも見たりするので、新しい発見があります」
そこで出合ったのがレオナルド・ディカプリオ。最初に見た作品は、映画出演4作目となる『ギルバート・グレイプ』(’94年)だ。

「当時はまだ無名で、たまたま私が好きなジョニー・デップやジュリエット・ルイスが出演していたから見た映画。ところが、作品ではディカプリオの存在感が圧倒的で、まるで主演のよう。知的障害のある少年という難しい役なんですが、かわいい表情をしたかと思うと、ハンサムな顔に豹変したり、カメレオンのようにたくさんの顔と表現を持っているんです。同じ年なのに、この演技力はすごいと感動」

『ロミオ+ジュリエット』(’96年)や『タイタニック』も、もちろん映画館まで足を運んで見たし、レンタルビデオも借りた。そして『ザ・ビーチ』(’00年)にいたっては“聖地巡礼”するほど。

「撮影されたのは、タイの小さな船を乗り継いで行くような島。ディカプリオがいないことはわかっていながら、私も独身だったから“もしかして”という思いも」

作品のたびに、さまざまな表情や演技を見せてくれたディカプリオの存在は、井上さんがその後、女優の仕事を増やしていくにあたり、糧になった。

「美しいだけでなく、不格好な部分もあるから、人間らしさがにじみ出て、キャラクターに命が吹き込まれる。アイドル志望の私にも、お芝居するのってカッコいいなと思わせてくれる存在でした」

【PROFILE】

井上晴美

’74年、熊本県生まれ。’91年にアイドルとしてデビューしたのち、『ナースのお仕事』(’96年、フジテレビ系)や映画『フリーズ・ミー』(’00年)など女優としても活躍。’05年に国際結婚をし、3児の母となる。’11年に熊本県に移住、子育てをしながら女優業もこなしている

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