住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、欠かさず見ていたテレビアニメの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。
「5歳と3歳の子どもがいるのですが、上の息子がテレビアニメに興味を示すようになり、私が子どものころに大好きだった『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)を一緒に見ました。20年以上たった今見ても、本当に面白いんですよね」
こう語るのは、タレントの安田美沙子さん(40)だ。父親が転勤族の公務員だったため、’90年代は、引っ越しの連続だった。
「小学校だけで、3回くらい転校しました。転校するたびに、せっかく仲よくなった友達と別れ、また友達がゼロの状態に逆戻りになるというのが、ものすごく悲しくて……。転校先にランドセルで通学したとき、クラスメート全員がリュックを使っているのを知って、泣いてしまったことも。変に目立ちたくなかったんです」
そんなとき、いつも寄り添ってくれたのが、二卵性双生児の弟。
「弟と同じクラスになることはなかったですが、双子なのでもちろん同じ学年。お互いの友達を連れてきて仲よくなれば、学校にも早くなじむことができます」
男きょうだいということもあり、男の子が好む遊びも好きだった。
「当時、大流行していた光GENJIの影響もあり、ローラースケートを買ってもらって、弟と一緒にあちこちで滑りまくっていました。テレビゲームで遊んでいたのも、弟の影響が大きいかもしれません。ファミコンやゲームボーイで、アクションゲームの『熱血硬派くにおくん』(’86年)、パズルゲームの『テトリス』(’89年)や『ぷよぷよ』(’91年)、ロールプレイングゲームの『ドラゴンクエスト』(’86年)に熱中していました」
そんな小学生から中学生時代にかけて、欠かさず見ていたのが『ちびまる子ちゃん』だ。
「漫画は読んでいなくて、アニメから見始めました。これも弟が見ていたのがきっかけだったと思います。わが家の日曜日は、『ちびまる子ちゃん』、『サザエさん』(’69年~・フジテレビ系)、ほかの番組を挟んで、シメに日曜劇場を見て寝るというのが定番でした」
『サザエさん』に出てくるおっちょこちょいなサザエさんや、いつも怒られているカツオに比べて、まる子はより感情移入しやすかったという。
「シュールでちょっと大人びたまるちゃんの考え方や口調が、妙に面白くてハマりました。転校が多かった私は、まるちゃんの親友のたまちゃんを見て、“次の学校では、あんな友達が見つかればいいな”と憧れたことも。個性的なキャラクターが多いのも魅力でしたが、とくにお笑い好きで地味なキャラの野口さんファン。『クックックッ…』というクセのある笑い方をまねしていました」
まる子の父・ひろしや、祖父・友蔵など、ちゃらんぽらんな大人たちも印象に残っている。
「うちの父は真面目な公務員。しつけには厳しい人でしたが、お酒に酔うと、まるちゃんの父親みたいな感じになるんです(笑)」
■人前で表現する楽しさを知った『おどるポンポコリン』ダンス
当時の安田さんは、引っ込み思案で恥ずかしがり屋。自分から目立つことができなかったが、学芸会のクラスの出し物として、『ちびまる子ちゃん』の主題歌、『おどるポンポコリン』の創作ダンスを披露したことがある。
「詞の意味はよくわからなかったけど、ものすごく楽しい曲。ふだんはステージに立つタイプではないのに、このときばかりは自分でも驚くくらい堂々と踊ることができて、母に『よくがんばったわね』とほめてもらいました。
中学生になると父親の転勤も落ち着き、中・高の6年間はバスケ部に所属。
「かなり影響を受けたのはアニメの『スラムダンク』(’93~’96年・テレビ朝日系)。バスケをやっていたから、主人公の桜木花道がやっていた“ふりむきざまシュート”を、部活で試してみたり。もともと少年漫画ですが、マドンナ的存在の晴子さんがすごくかわいくて、胸キュン要素もあったから、女子にも人気でした。主人公のライバルで、クールな流川楓もかっこよくて、すごく似ている同級生に一時的に恋心を寄せていたことも」
エンディングテーマの大黒摩季の『あなただけ見つめてる』(’93年)、WANDSの『世界が終るまでは…』(’94年)、ZARDの『マイ フレンド』(’96年)も思い出に残る曲だ。
「ZARDの『君に逢いたくなったら…』(’97年)も、よくカラオケで歌っていました。美術の授業で、この曲をイメージしたCDジャケットを作る課題があり、グラデーションをつけた夕日を描いた作品を作ったら、先生にすごくほめられました」
短いスカートにルーズソックスをはいて、放課後はカラオケボックスで歌うという、ごく普通の“’90年代女子高生”だった。
「雑誌『mc Sister』(婦人画報社、現ハースト婦人画報社)のモデルをしていたはなさんがかわいくて、私も応募しようと思ったら、身長が足りなくてあきらめました。何か自分で表現したいと思いだしたのは、そのころくらいから。大学生のとき、友達を京都案内していたら、たまたま東京の芸能事務所のスタッフさんからスカウトされたんです」
相変わらず、安田さんは恥ずかしがり屋で、人前で話すときには緊張してしまうタイプ。
「それでも芸能界の仕事に挑戦してみようと思ったのは、心の奥にはアクティブな自分もいて、人前に出る仕事への憧れがあったから。その原点が、小学校の学芸会で披露した『おどるポンポコリン』のダンス。
【PROFILE】
安田美沙子
’82年、北海道生まれ。その後、大学生まで京都で過ごす。20歳のときに「ミスマガジン」に選ばれてデビューする。『アッコにおまかせ!』(’85年~・TBS系)や競馬番組など多くのバラエティ番組で活躍。’21年に念願だったランニングアドバイザーの資格に合格