住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になった本の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

「小さいときから協調性がなくて、あまのじゃく。何をするにも人と同じことをするのが嫌だったので、学校で友達ができず、休み時間は机に穴を開けて消しゴムのカスを埋め込む作業に費やしていました。でも、『ウォーリーをさがせ!』(’87年・フレーベル館)があったから、一人の時間も楽しく過ごせたんです」

そう’90年代を振り返るのは、お笑い芸人の鳥居みゆきさん(42)。小学生のときから“ちょっと変わった子”だった。

「校歌を歌うときに自分だけ低音でハモってみたり、渡り廊下を渡りたくないから、わざわざ靴を履き替えて隣の校舎に行ったりしていました」

勉強に関しては、疑問にぶつかると先へ進めなくなり、周囲に迷惑をかけることもあった。

「英語のリスニングの試験なんか、1カ所聴き逃すと『もう1回戻して!』とパニックになって大騒ぎするから、私だけ保健室で受けていました。ずっと友達が欲しいと思っていたのですが、コミュニケーションがうまくとれないから、いつも一人ぼっち」

そんな鳥居さんを心配して、親はみんなと遊べるようにゲーム機を買い与えてくれた。

「それがセガのメガドライブでした。ほとんどの子どもがゲームボーイとかファミコンで遊んでいる時代です。ソニックは超面白いけれど、みんなはマリオで遊びたいから、誰も家に来ませんでした」

学校から帰ると、一人で過ごす時間が多かった。

「ランバダが流行ったとき、急に一人で踊りたくなったんです。たまたま窓を開けっぱなしにしていたから、激しく踊る姿が“火事が起きて慌てている”と映ったようで、近所で大騒ぎになったことがありました」

家族が帰るまで、パズルなどで時間をつぶしていたが、やはり少し変わった遊び方。

「自分で自分を苦しめるのが好きだったし、パズルは楽しいので終わらせたくない。だから、500ピースのパズルを、それぞれ2つに切って1000ピースのパズルに。でも、『101匹わんちゃん』のときは、細かいダルメシアンのパーツだらけになって収拾がつかず、結局未完成に終わりました」

■“ウォーリーは殺人鬼”という都市伝説も

そんな独自の遊びの延長線上にあったのが『ウォーリーをさがせ!』だった。

「吉祥寺に行けば、ウォーリーと同じ赤と白のボーダーシャツを着た楳図かずおさんがすぐに見つかるのに、絵本の世界ではなかなか見つからない。これがすごく面白くてハマりました。ウォーリーにはペアルックをした恋人がいるし、同じような格好をした25人の“親衛隊”の子どもたちもいます。そういうウォーリー以外の登場人物を探す喜びもあるんです」

ところが、黙々とウォーリーを探していると、“何のために探しているんだろう”という気持ちになることも。

「そういうときはいろいろ想像したくなるんです。そもそも妄想が好きで、私だけ重力がかかる世界だったらとか、地球が滅びて私だけ地下シェルターにいたらとか考えていました。本も、タイトルと最初の1行だけしか読まず、ストーリーを想像していました」

だからこそ、ウォーリーの世界観にも入り込み、空想に耽った。

「もともと、ウォーリーが殺人鬼という都市伝説があったんです。たしかにウォーリーにつきまとう“親衛隊”の子どもたちが存在するから、もしかしたらハーメルンの笛吹き男のように子どもをさらっているんじゃないかと考えてみたり。

いったいどこに連れ去るのか。それで何をするのか……。いや、恐ろしいので、これくらいでやめておきましょう。とにかくいろんな想像を掻き立てられたおかげで、飽きずに続けられました」

数多くのウォーリーを探し当てたことで、身につけた技も。

「当時、ぼんやりと眺めると絵が立体的に浮かび上がるステレオグラムが流行っていました。それと同じように、絵本をぼーっと眺めていると、ウォーリーだけがピンク色に浮かび上がってくるんです!」

こうした裏技でウォーリーを探しては、マジックで囲んでいったのだが、正月に遊びに来た親戚から「ウォーリーがすぐ見つかる」とクレームが入った。

「そのため、あらゆる場所に丸をつけてごまかすことに。私が隠したウォーリーを探す本になってしまいました」

高校生になると、興味はウォーリーからファッションへと変わっていった。

「ルーズソックスが流行っていたのですが、みんなと同じことをしたくない私は、裸足に革靴。ところがあるとき紺のハイソックスをはいてみると、同級生から『え、それ、かわいい』と言われて。ルーズソックスの後に紺のハイソックスが流行りましたが、地元の埼玉県行田市では私が最初に考案して広めたもの、と勝手に思っています」

プリクラが流行ったときは、人生で初めて机のまわりにクラスメートの行列ができた。

「制汗剤をプリクラに垂らして拭き取ると、顔がにじんで歪むんです。

その“悪魔加工”がウケて、みんなが加工を頼みに来ました。こんな経験は初めて。私が映っているプリクラは一枚もありませんでしたが」

友達はいなかったが、人に喜んでもらうことは楽しみだった。

「そんなときにたまたま寄席に行って、昭和のいる・こいる師匠の漫才を見たんです。自分を表現することは楽しいし、もしかしたら友達ができるかもしれないと思って、お笑いの道に」

たくさんの仕事と芸人仲間に出会い、今ではウォーリーを探す時間も少なくなった。

「たまにウォーリーを探したくなりますが、『ウォーリーをさがせ!』の本がどこにあるか探さなければならないはめに。あんなに夢中になった本なのに、いったいどこにいったのでしょうか?」

【PROFILE】

鳥居みゆき

’81年、秋田県生まれ、埼玉県育ち。白い衣装の“マサコ”がおなじみのピン芸人として活躍するほか、「臨死!!江古田ちゃん」(’11年・日本テレビ系)で主演を務めるなど女優としても活躍。発達が気になる子を楽しくサポートする『でこぼこポン!』(NHK Eテレ)にも出演中

編集部おすすめ