野際陽子さん四十九日で長女語った「最期の病室と涙のハグ」の画像はこちら >>



「早いもので、母が他界してからもう四十九日を迎えました……。先日には、親族や親しかったスタッフの方々だけでささやかな法要を執り行いました」



肺腺がんのため6月13日に天国へと旅立った野際陽子さん(享年81)。

あれから四十九日、長女で女優の真瀬樹里(42)は胸に詰まった言葉を絞り出すようにそう語った。



野際さんに肺腺がんが発覚したのは、昼ドラ『花嫁のれん』(フジテレビ系)に出演していた14年。だが撮影が過酷だったにもかかわらず、彼女はほとんど仕事を休まなかった。幸い早期発見だったため、手術は成功。しかし翌15年4月、がんが再発。腫瘍の摘出手術を受けた。その後再々発するも、抗がん剤治療が功を奏したことで復帰を果たしている。



「母が仕事を休んだのは、2回とも手術前後1週間ほど。最初も2度目も、驚くほど回復が早かったんです。最初の手術は14年12月だったのですが、母は『先生、正月からスキーに行ってもいいですか?』と言いだして。それで本当に、行っちゃったんです。2度目の手術後の16年正月も、スキー旅行に行っていました」



しかし、がんは次第に身体をむしばんでいく。

そして17年5月、肺炎を併発して入院してしまったのだ。野際さんはドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)に出演していたが、なんと入院の前日まで撮影に臨んでいたという。



「正直、私は何度も『仕事をもう少し休んでほしい……』と訴えてきました。京都での撮影を控えていたときには、『京都まで行くのは心配すぎる。行かないわけにはいかないの?』と食い下がりました。母はそのたびに『うん、うん』と静かに聞いていました。でも結局、最後には『やっぱり、一度受けたお仕事だからね……』と言って撮影に向かうんです」



入院後も野際さんは強かった。冗談を言っては、いつも周囲を明るくしてくれていた。病室にはいつも支えてくれる人たちがいて、一進一退の日々が続いた。そんなある日、真瀬と野際さんが二人きりになったときがあった。



「亡くなる1週間ほど前でしょうか。病室で母と私だけになったんです。

私はベッドに腰かけて、母の横に寄り添っていました。そうしたら母が何も言わず、私の頭を肩にギュッと引き寄せ抱きしめてきて。それで私、何も言えなくて。これまで『絶対治るよ!』と言いながらも、やっぱりどこか不安で仕方がなかった。精一杯明るく振舞ってきたけど、本当は『母がいなくなったら』と思うと怖くて仕方がなかった。だからもう涙が止まらなくなって。“泣いているのを気づかれてはいけない”と、顔を上げられませんでした」



振り返る真瀬の目から涙がこぼれる――。覚悟しながらも、気丈だった母。娘に心配をかけまいとする、野際さんの強さだったのかもしれない。



「母も何も言わず、しばらく抱き合っていました。でも肺を圧迫すると苦しいじゃないですか。だから『ママ、苦しいよね。

ごめんね!』と言って、顔を上げようとしたんです。そうしたら、母が離さないんです。その力が、びっくりするくらい強くて……。だから私は笑顔で『ママ、腕の力すごいよ。まだまだ力あるよ!大丈夫だよ』と言いました」



最後の数日間、野際さんは薬のためずっと眠り続けていたという。



「先生が『きっと、声は聞こえていると思います……』とおっしゃってくれたので、私は声をかけ続けていました。でも、母からの答えはありませんでした。だからこそ思うんです。『あのとき、母は私に何を伝えたかったんだろうか?』と。でも同時に、言葉にならない何かを伝え合えた――。そうも感じます」

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