(台北中央社)「懐古の達人」とネットで呼ばれる張哲生さん。異なる時代に撮影された写真を並べて比較する「今昔対照」が人気を呼び、趣味で始めたフェイスブックページのファン数は22万人を超える。
「台湾人に自分たちが育ったこの土地の歴史や文化をもっと知って欲しいんだ」。その思いで台湾の姿を記録し続けている。

▽懐かしい「日本のアニメ」

自身が懐かしく感じるアニメは、1965年生まれの男性を対象にした日本の雑誌「昭和40年男」で取り上げられるものと重なると話す張さん。72年生まれだが、日本のアニメが台湾に入ってくる際に時差が生じるためだという。

98年に立ち上げたホームページが張さんにとっての最初の「懐古」だった。子供の頃に親しんだアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」を紹介するもので、翌99年にはアニメの主題歌を紹介するホームページも公開。
現在のようにネットで手軽に検索したり、音楽を楽しんだりできず、昔を懐かしむのも容易ではなかった時代。中華圏に似たようなサイトは他になく、大きな反響があったという。ブログからフェイスブックへ、アニメから歴史へと「懐古」の範囲を徐々に広げていった。

▽モンガ出身、豊かな歴史や文化に触れながら育つ

張さんはモンガの出身だ。台北で最も早く発展した街の一つとされ、その歴史は清朝時代に遡ることができる。寺廟が街のあちこちに見受けられ、龍山寺をはじめ、長い歴史を持つものが多い。
これらの神を祭るための大規模な行事が行われたり、厄除けのために大量の爆竹が一斉に放たれたりすることは、張さんにとっては至って日常的な光景だった。

「この街で育ったからこそ、歴史や文化が人の命に与えてくれる深みが分かるんだ」。身の周りの歴史について書くようになり、西門・モンガエリアの寺廟は全て網羅。ネットで公開すると、見る人も次第に増えた。

▽台湾の歴史教育から抜け落ちた「日本統治時代」

自身の世代が受けた教育では、日本統治時代に関する部分がすっかり抜け落ちてしまっているという。地理や歴史は、中国大陸のものを覚えた。
「長江が中国のどの省を流れているかとかね。でも、濁水渓(台湾最長の河川)が台湾のどの県市を流れているか、私は知らないんだ。おかしいと思った」。

国民党政権の下、中国中心の教育が行われていたためで、台湾が日本に統治されていた時代については、主に中華民国の歴史を学んだ。「台湾で暮らす人々にとっては、自身の先祖、おじいちゃん、おばあちゃんは日本統治下の台湾で生活していたんだ。それなのに当時、台湾で何が起きていたのか全く知らない」。
台湾の人たちにこの土地の物語をもっと知ってもらえれば―自身を突き動かすのは一種の使命感だという。

▽日常に溢れている歴史

活動を続ける中で予想外の出来事もあった。サイトやフェイスブックを見た人たちとの出会いだ。戦後間もない頃の台湾を記録した短い映像を投稿したところ、母親が映っていたと感激して知らせてくれた人もいた。自身の活動が人々に喜びをもたらすことができるのだと知り、励みになった。

慣れ親しんだ土地との新たなつながりに気付いたり、両親や祖父母の若き日々に思いを馳せたり…。
日常には歴史が溢れていると語る張さん。まずは身の回りの歴史について知ることから始めて欲しいと力を込めた。

(楊千慧)