100年前のニューヨークの配送システムがすごい!動物、果物まで地下エアシューターでスポポポポーン!

 現代はスピードが命と言ってもいい時代だ。デジタル通信速度はもちろん、配送物も当日配達、翌日配達など、あっという間に消費者の元に届く。


 しかし100年前のニューヨークだって負けていない。全長43キロにも及ぶエアシューター(気送管)網が、50年以上に渡って市の3分の1以上の郵便物を配達していたそうだ。

 地下を通っているこのエアシューターが、手紙や商品を目的地に送り、ものの数分で届くことも多かったという。

 まさにハイテクレトロ。19世紀の実質的なインターネットといえよう。こうしたエアシューターチューブがニューヨークシティの地下1.2メートルのところに張り巡らされていたことを知らない人も多いようだ。


【世界各地で広がった「空気圧式チューブ配送システム」】
 この空気圧式チューブ配送システムは、スコットランドのエンジニア、ウィリアム・マードックによって発明され、1854年にロンドン証券取引所と電気電信会社を結ぶ電信装置として初めて使われた。

 このシステムはその後、ベルリン、パリ、プラハ、ウィーンなど、ヨーロッパじゅうに広まった。1893年には、アメリカでフィラデルフィアが初めてこのシステムを採用し、1897年にニューヨークが続いた。
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【郵便物から猫までチューブで配送】
 ニューヨークは、それ以前にもこのシステムを実験的に導入していて、その除幕式には、郵便局員を含む100人以上の見物人が集まった。

 栄えある最初の配達物は、アメリカ国旗に包まれた聖書と、憲法とウィリアム・マッキンリー大統領の就任演説のコピーだった。

 当時、郵便局員だったハワード・ウォレス・コネリーは自伝の中で、配達物はすぐに冗談めかしたものになったと書いている。


 このセレモニーを取り仕切った政治家チャンシー・デピューを揶揄したおもちゃの桃が送られたり、生きた猫までもがチューブで移送された。

 コネリーはこう書いている。
農産物取引所ビルの中にあるPステーションから、ブロードウェイやパーク・ロウまで、何度も曲がりくねるチューブの中をものすごい速さで移送され、どうやって猫が生き延びられたのか、想像もつかないが、実際に生きていたのだ

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 政治家のデピューは、このエアシューターを"スピードの時代"と称した。「スピードを追求することは、すべて幸せに貢献し、文明にとって明確な利益となる」と言っている。【ニューヨークで急速に発展】
 地下1.2~1.8メートルのところに設置されたこのチューブメールシステムには、回転式の送風機と圧縮機がついていて、重さ11キロの鋼管を、平均時速48キロから56キロで動かすのに必要な空気圧(1インチにつき3~8ポンド)を送ることができるようになっていた。
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 長さ60センチ、幅20センチのこれらシリンダーチューブには、600通の手紙を入れることができた。
136人のロケット技師と発送係から成るグループが、このシステムをスムーズに操作し、1日に9万5000通の手紙を配送した。

 最初のチューブは、昔の郵便本局から農産物取引所まで、1.6キロもなかったが、それがマンハッタン島の両サイドで急速に発展した。
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 ブロンクス橋を使って、ブロンクスやブルックリンにも広まり、ブロンクスにある人気のサンドウィッチ店が、このチューブを使って、サンドウィッチをデリバリーしているという噂もあった。

 まさしく、サブマリン・サンドウィッチ(細長いパンに具をはさんだ大きなサンドウィッチ)だ。本局からハーレムに1本の郵便筒が届くのに、わずか20分。地上の道路を郵便車で運べば40分かかるところを、大幅な時短になった。

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【難点は維持費が高いこと、故障が多いこと】
 だが、そのスピードとは裏腹に、このエアシューター郵便システムは維持費がかなりかかった。1918年、連邦政府は1マイルあたり1万7000ドルの年間レンタル料金を支払わなくてはならなかった。

 第一次大戦中は、コスト削減のためにこのサービルは停止されたが、チューブの耐久性はそのままだった。

 1947年のクリスマスに、積雪67センチという記録的な大雪が降ったときも、このチューブはクリスマスの贈り物やカードを配達することができた。

 しかし、ニューヨークの人口が増えるにつれ、郵便物の増加に対応するのが苦しくなった。政府は、民間企業に金を払って地下のチューブをさらに増設しなくてはならなくなった。
既存のガス管や下水道があるために、範囲が限定されてしまっていたのだ。

 さらに、しょっちゅう故障し、詰まった郵便物を回収するために、通りを掘らなくてはならないことも多かった。

 また、チューブの大きさから、送ることができる郵便物の種類は限られ、水や油で汚れたり破損したりするといった苦情も頻発した。
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【1950年にシステムが終焉】
 このシステムが終焉に向かい始めたのは、1950年4月。橋梁の修復工事のため、ブルックリンのラインが切断されたのだ。

 1953年には、就任したばかりのドワイト・D・アイゼンハワー大統領が、アーサー・サマーフィールドを郵便局長に任命した。


 サマーフィールドは、このエアシューターシステムをすべて中止し、より経済的な自動車による配達システムに切り替えた。

 このエアシューターシステムが解体されたのは、ニューヨーク市にゼネラルモーターズの新しい配送トラックを売りつけるためだ、という陰謀論も飛び出した(サマーフィールドは、GMの販売権を所有していた)。

 パリなどは、1980年代までこのエアシューターシステムを使っていたが、より効率的な技術が出てくるようになると、ほとんどは古めかしいシステムになってしまった。
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【エアシューターシステムが見直される時代に】
 しかし、持続可能な、環境に優しいエネルギープロセスが注目されるようになり、このエアシューターの可能性を見直そうとしている技術革新者もいる。

投資家イーロン・マスクが提案する超高速人間輸送機「ハイパーループ」の例がある

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 ニューヨークのエアシューターはまだ一部残っているため、光ファイバーケーブルシステム用に、それらを再利用するプロジェクトが提案されている。

 昔のチェルシー郵便局や、ニューヨーク公共図書館へ行くことがあれば、目をこらしてみて欲しい。エアシューターの名残を見ることができるだろう。
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ニューヨーク公立図書館に残されたエアシューターシステム image by:Big Apple Secrets
References:When Cats, Peaches, Lunch (and Letters) were Mailed Beneath the Streets of NYC / written by konohazuku / edited by parumo

記事全文はこちら:100年前のニューヨークの配送システムがすごい!動物、果物まで地下エアシューターでスポポポポーン! https://karapaia.com/archives/52303488.html