聖書ではあまり触れられていなかった。西洋における地獄の歴史
 日本だと地獄と言えば閻魔様を連想しがちだが、西洋にも地獄(Hell)という概念はある。だがそれはいつからどのように広まったのだろう?

 実は聖書の中では「地獄(Hell)」に関してほとんど触れられていないのだという。
地獄に言及していると思われる文章は、非常に曖昧な表現で、後に誤った解釈をされていた場合が多いのだそうだ。

 西洋における地獄の概念は2世紀、地中海地域の文化交流の結果として初めて形作られたという。ここでは西洋における地獄のルーツや歴史について見ていこう。

ダンテが神曲で描いた地獄 イタリアの有名な詩人、ダンテ・アリギエーリ(1265年 - 1321年)の『神曲・地獄篇』は、西洋文学の正典のひとつだ。

 その秘密をひもとくために、9つの地獄を慌ただしく巡るこの寓話詩について、膨大な量の研究が
行われてきた。

 鮮やかで、ときにグロテスクな地獄のイメージは、サンドロ・ボッティチェッリ、オーギュスト・ロダン、ウィリアム・ブレイクなど、多くの芸術家たちにインスピレーションを与え、現代ではゲームにまでなっている。


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地獄篇の挿絵より、冥界の渡し守カロンが死者の霊を舟に乗せてゆく場面 / image credit:public domain/wikimedia

 ダンテの『神曲』には、ほかに煉獄篇と天国篇があり、それぞれ煉獄と天国の領域を探索する。

 しかし、煉獄や天国は、地獄ほど風変わりな愛情や注目、崇拝を受けることはない。それは、はっきり言って天国の存在感が薄いからだ。地獄こそが、ドラマが起こる場所なのだ。

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サンドロ・ボッティチェッリが描いた地獄の図 c. 1490年 / image credit:public domain/wikimedia聖書にはほとんど地獄のことが書かれていない そのイメージや物語が強烈なわりには、地獄のことが聖書にあまり出てこないのは驚くべきことだ。

 実際、聖書の中でサタンの灼熱の世界にふれている箇所のほとんどは、のちの翻訳者たちが、自分の解釈を死後の世界のより古く明瞭な概念に当てはめた結果だ。


 これは、今日私たちが理解している地獄が、聖書を書いた者たちがまったく想像だにしなかった死後の世界であるということだ。

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ィリアム・ブレイクの『恋人たちのつむじ風』は、肉欲に負けた者が永遠に地獄の疾風に翻弄される、ダンテの地獄篇の一場面を描いている / image credit:public domain/wikimedia西洋における地獄とは? シェオル(Sh eol )、つまりあの世の地獄は、ヘブライ聖書の中では66回言及されていて、旧約聖書の多くのバージョンでは、そのまま地獄と訳されている。

 例えば、欽定英訳聖書では、詩編16章10節では次のようになっている。
あなたは、私の魂を地獄に置き去りにせず、あなたの聖なる者に腐敗を見る苦しみを与えない
 シェオルという言葉の正確な意味と語源については、議論の余地がある。墓そのものと同義であると主張する聖書学者もいる。

 この見方に基づいて詩編16章10節をもっと正確に訳すと、「あなたは、私の魂を使者の中に置き去りにしたり、聖なる者が墓の中で朽ちるのを許さない」となるかもしれない。


 この解釈に異を唱え、シェオルは死者の闇の国である(ヨブ記10章21節)と主張する学者もいる。それでも、シュオルは地獄とはかなり違う。

 罪人を罰するための領域というより、あらゆる魂が集まり、生気のない無の中に存在する場所だ。そこには痛みも苦しみもないが、喜びや高揚感もない。

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コッポ・ディ・マルコヴァルドによる地獄のモザイク絵 / image credit:public domain/wikimedia

 ヘブライ聖書ではないなら、新約聖書の中では地獄のことが詳しく論じられているのではないだろうか?

 だが、新約聖書にも地獄のことはあまり出てこない。確かにキリスト教の重要人物であるイエスと、キリスト教の創始者である宣教師の聖パウロは、実存的な報いについて説いている。


 だが、キリスト教について書かれた最古の書物であるパウロの使徒書簡と、マルコとマタイの福音書では、どちらも罪人を待ち受ける地獄の業火について警告されていない。

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シプリアン・ノーウィッドの『ダンテの地獄』(19世紀) / image credit:public domain/wikimedia

 聖書学者のバート・アーマン氏は、イエスの言葉をよく読めば次のことがわかると主張する。

 マルコとマタイの福音書の中で、イエスは近い将来に起こる"神の王国"について説いているが、それによって、天国の王国を意味していたのではないという。

 イエスは、王国はこの地上にあり、神の法律に従う人たちが肉体的に復活し、この輝かしい新しい時代に生きることを思い描いていた。
 彼はそれが近いうちに、つまり一世代以内に起きると信じていた(マタイ 24章34節)。

 神に背を向けた者にふりかかる運命は、永遠の罰ではなく、彼らはただ消滅するだけだ。
イエスのたとえ話の多くは、このことを警告している。

悪い魚は投げ捨てる(マタイ 13章48節)。悪い実がなる木は、火の中にくべられる(マタイ 7章16~20節)。聖なる羊から引き離された卑劣なヤギにも、同じことが起こる(マタイ 25章)。

 こうしたたとえ話の多くが、火のイメージを呼び起こすが、アーマン氏はこの火が、不実な者を滅ぼすと指摘する。

 たとえ、火が永遠に燃え続けたとしても、その中に投げ込まれた者まで永遠に燃え続けるとは言っていない。
彼らの罰は、永遠の命の前にある死だ。
これは、パウロとイエス両方の教えだったようだ。だが、聖人にとっての永遠の喜びだけでなく、罪人にとっての永遠の苦しみを肯定するようになった後世のキリスト教徒たちによって、結局は変更されることになった。

そして、ほとんどのキリスト教徒が、キリスト教のどちらの創始者の頭ににもなかった地獄を、時代を超えて信じ続けるという皮肉を生み出すことになった
アーマン氏は書いている。地獄は古代地中海地域との文化交流で生まれたもの 聖書にも書いていないのなら、いったい地獄はどこから発生したのだろう? この複雑な問いに対するシンプルな答えは、結局のところ「簡潔な歴史」ということで、地獄は古代地中海地域における文化交流の共同作業ということなのだ。

 ユダヤ文化は、なにもないところから発生したわけではない。近隣の何度も征服を繰り返した帝国の影響を受けている。

 ユダヤ人思想家たちは、こうした他文化のアイデアを採用し適応させたり、拒絶することもあった。だが、肯定も否定も、両方とも何世紀にもわたってユダヤ神学を変化させていったのだ。

 例えば、ユダヤの黙示録的な思想は、世界を善と悪の間の宇宙戦場とみなした。そうした見かたをすると、神の敵が現在の時代を支配していたが、すぐに神が敵を征服し、ユートピアの時代へといざなってくれた。

 そして、終末思想家たちは、アレクサンダー大王の支配後、ヘレニズム文化に大きく影響された。

 これは、彼らが自分たちの聖書の伝統と、天国への旅や、死者の裁きといったギリシャモチーフをどのように組み合わせたかを見れば、明らかだ。
こうしたヘレニズムとの類似点は、黙示録のジャンルがヘレニズム文化から由来しているとか、ユダヤの黙示録が、独自の独創性や完全性に欠けていると主張するものではない
 旧約聖書学者のジョン・コリンズ氏は書いている。

 だが、「ヘレニズム世界には、黙示録で使われている暗号のいくつかが備わっている」という。

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ヤン・マンデインの『地獄の悲惨さ』キリスト教思想の中で、地獄の概念が最終的に固まったとき、信者たちはイエスの死や復活の前に、善良な魂になにが起こったのか、疑問に思い始めた。その答えのひとつは地獄の悲惨さで、イエスがそうした魂を救うために、あえて地獄へ足を踏み入れたという出来事だ / image credit:public domain/wikimedia奇妙に捻じ曲がる解釈 イエスの世界観は、終末論に傾倒していて、奇妙にねじ曲がっていた。聖パウロが自分の活動を通じて、ヘレニズム世界にイエスのブランドを取り戻した。そこで、ギリシャ=ローマの死後の概念とさらにまじりあってブレンドされた。

 何世代もの時が流れたが、イエスの神の王国の約束は、実現されることはなかった。新たにキリスト教徒になった人たちは、もし、イエスを誤解していたら? もし、この世で善が悪に勝利しなかったら? もし、約束された永遠の命とは霊的な意味だけで、ほかの牧歌的な余生と変わらないものだったら? と考えるようになった。

 永遠の報酬というものがあるのなら、永遠の罰というものもあるはずだと考えるのは、それほど飛躍的な考えではないだろう。苦しみの場所 イエスのメッセージのこうした変遷は、のちに書かれた新約聖書の中に見られる。

 2代目ペテロは、神がいかに罪深い天使たちをタルタロス(これもよく地獄と誤訳される)に堕としたかを語る。

 金持ちとラザロ(ルカの福音書だけに出てくる寓話)では、金持ちは死後、ハデスで苦しみ、聖人ラザロは、アブラハムの懐で死後世界を楽しむという(この時点では、天国はまだ未完成だったようだ)。

 地獄という考えがいったん発生すると、すぐに独自の死後世界をもつようになった。最古の地獄ツアーのひとつはペテロの黙示録で、2世紀に書かれ、聖ペテロの死後世界の旅について語られている。

 天国の描写は短く、目だった出来事もあまりない。むしろ、ペテロの地獄風景の中では、私たちがもつ現代の地獄の概念が形をなしていることに気づく。

 ここでは、罪人たちが地上での悪行に応じて、責めを受けている。冒涜的な言葉を吐く者は、その舌で吊るされ、殺人者は毒ヘビや肉を喰らう虫に絶え間なく噛みつかれる。

 金持ちの守銭奴は、ボロを着て火柱に貫かれる。現代の読者のほとんどが吐き気をもよおすような、残酷なホラーショップが次々と現われる。

「ペトロを書いた者は、のぞき魔で、サディスティックで、スカトロジー的傾向があり、それが後の地獄ビジョンの基礎となった」と、著作『The History of Hell』の中でアリス・ターナー氏は書いている。
ペテロに反発し、その広い影響力を遺憾に思うかもしれないが、これが書かれた当時、拷問の脅威はローマのキリスト教徒市民にとって、新たな不安材料だったことを知るのは有益かもしれない
地獄のような場所はひとつではなく、たくさんある。 さて、そろそろ地獄への旅は終わりのように思えるかもしれないが、この地獄で燃え続ける業火のように、地獄がその歩みを止めるわけではない。

 最初のキリスト教徒以来、西洋文化の各時代は、なんらかの形で地獄の解釈を作り変えてきた。多くの場合、その変化は次のことよりも、自分たちの世界についての主張だ。
・中世では、人気の物語や演劇で雑多な地獄描写が目撃されてきた。地獄は恐ろしいものかもしれないが、当時はほとんどの人々の日常生活に比べて、間違いなく活気があった。
・ダンテの地獄は、ほかの話の中でもとりわけ、カトリック教会の富や政治への関与に対する宣言だった。
・バロック時代、イエズス会士たちは地獄のより激しい拷問を退け、ゴミゴミした都会の不潔さの観点から、地獄を再構築した。
・啓蒙思想によって、地獄という概念自体が疑問視された。ヴォルテールは、ヤギを盗んだ男が永遠に焼かれるなどということは、おかしなことだと主張した。(同時に、地獄とペルシャ人、ギリシャ人、エジプト人の死後世界とのつながりにも言及している)

 つまり、地獄は聖書から私たちに植え付けられた特異な概念ではないということだ。何度も概念が入れ替わり、それぞれが私たちの最善と最悪の精神的代替品として機能しているといえよう。

 一方で、地獄は正義を求める私たちの願望を表している。

 たとえ人生は不公平だとしても、死後の世界では、邪悪で不誠実な犯罪者が罪を償い、犯罪の犠牲者がこの世の苦しみから解放されると、少なくとも、私たちは想像することはできるだろう。

 同時に、地獄には、私たちの憎悪、不寛容、野蛮さが巣くっている。それらは、他人よりも自分が
優れていることを証明したい、自分の信念と相容れない者を罰したいという、私たちの隠れた願望をも完全に露呈させるものなのだ。

References:A brief history of hell - Big Think / written by konohazuku / edited by / parumo

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