なぜ日本では何世紀にもわたって幽霊のイメージが生き続けているのか?
 アメリカ、ワシントンD.C.にあるスミソニアン国立アジア博物館で、10月6日まで「超常現象の演出:日本の浮世絵芸術における幽霊と芝居」という展示会が開催されている。ここでは日本の不気味な怪談を描いた浮世絵や版画の数々が展示されている。


 1700年代から1900年代にかけて日本の芸術家たちによって制作された50点以上の展示作品は、木版画芸術が醸し出す力強さとそれが表現する物語が現代の日本でも相変わらず人気があることを示している。

 歌舞伎や能といった伝統芸能から生まれたこれらの作品は、そのパフォーマンスと同じくらい人気があったことがわかる。怪談は何世紀も前から日本において大きな流れとなってきたひとつの文化なのだ。

四谷怪談 四谷怪談は、日本で語り継がれているもっとも有名な怪談と言ってもいいだろう。夫に裏切られ毒を盛られて容貌が醜く崩れてしまった上に無残に殺されたお岩が、自分を殺した夫に復讐するために幽霊となって戻ってくるという物語だ。

 実際にあった事件をベースに作られた作品とも言われており、江戸時代後期に活躍した四代目鶴屋南北が「東海道四谷怪談」を1825年に歌舞伎で上演して有名になった。


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東海道四谷怪談 『神谷伊右エ門 於岩のばうこん』(歌川国芳) / image credit:public domain/wikimedia

 日本の文化の中に超常現象はつきものだが、江戸(1603~1868年)という時代とこの特殊な作品が、怪談というジャンルが今日なお続くほどの脚光をもたらすことになった、と展示会の学芸員キット・ブルックス氏は語る。

 この作品はこれまでのどの演目よりも数多くの公演を行い、その仕掛けも炎や血しぶき、ワイヤアクションなどこれまでにはない特殊効果がなんといっても売りだった。歌舞伎や能の文化と怪談 この時代の浮世絵作家たちは、四谷怪談や当時のほかの作品、演じる役者の思い出を求め、物語を記憶に留めたいと願う熱心な観客のために作品を複製した。

 江戸時代に生まれた歌舞伎は、様式化されたパフォーマンスと複雑で大がかりな特殊効果で知られ、幅広い観客に人気のエンターテイメントだった。
落とし戸、たくさんの小道具、作り物の血、役者をワイヤで吊るして劇場を飛び回らせるなどの新たな仕掛けではっきりと幽霊の存在を観客に伝えていたのです(ブルックス氏)
 芝居にちなんだ数多くの木版画、浮世絵が制作され、大衆が手に入れやすい価格で販売された。1840年代には、蕎麦一杯の値段で多色刷りの浮世絵が買えたという。


 展示されている精密な木版画のひとつに、1861年に歌川国貞が描いたお岩がある。釣り糸に引っかかって水面に引き揚げられたお岩の遺体と使用人の小仏小平の遺体が描かれている。

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歌川国貞「お岩ぼう霊」1848年 / image credit:東京都立図書館

 この戸板返しのトリックは、舞台の上では非常に効果的だ。ふたつの遺体を同じ役者が演じ、衣装をすばやく変えることで違いを表している。

 1860年代まで40年近くにわたってこうした舞台トリックは使われ、本物の水が入った水槽が使用されたこともあった。こうしたトリックを描いた作品が完全に無傷で現代まで残っていることは極めて稀だ。


 能舞台でも幽霊は取り上げられていて、より身分の高い目の肥えた聴衆たちをターゲットにしていた。

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月岡耕漁「石橋双図」能楽百番より、木版画 1922-1927年 / image credit:National Museum of Asian Art

 能は14世紀に始まったとされるが、神社や寺での収穫儀式や娯楽のために行われたものはもっと古くからあった。

 こうした儀式には舞い、詠唱、木製の面をかぶったキャラクターがつきもので、面をつけるのは本質的にその役割になりきることを意味する。それは面をつける人間に起こる一種の憑依ともいえる。

 19世紀の版画家で浮世絵師の月岡耕漁は、世間の能への関心の高まりをうまく活用し、能のおどろおどろしい登場人物を記録するだけでなく、面の下に隠れた役者自身をはっきり示すことで初めて能の舞台裏までを描いた。

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月岡耕漁「土蜘蛛」能楽百番より、木版画(1922-1925) / image credit:National Museum of Asian Art

 能の幽霊物語は歌舞伎ほど大げさな作りではなかったかもしれないが、その形式は遠い過去の物語をしっかりとらえていた。


 こうした物語は日本中にある特定の場所と関連づけられていることが多く、その土地に関わる霊を通して物語が語られ、霊は地元の記憶につながるパイプ役を担っている。

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歌川国芳「追分」お岩と宅悦、木曽街道六十九次より、木版画(1852) / image credit::National Museum of Asian Art幽霊は庶民の代弁者? どうして幽霊は日本の伝統文化の中で生き続け、江戸時代でも広く信じられていたのだろうか?

 数百点の浮世絵を美術館に寄贈したコレクター、パール・モスコウィッツ氏は、幽霊は時代が巡ると共に変化する社会を反映するひとつの方法だったのではないかと言う。
幽霊が現れる物語は、支配階級の権威が絶対的だった封建社会において、正義のひとつの形態として機能したのではないかと推測します(パール・モスコウィッツ氏)
 不平等な階級制度の中で、幽霊が自分たちにはできない方法で復讐を果たして正義を成し遂げるという芝居を鑑賞することで、庶民は大いに溜飲を下げることができる、一種の精神の浄化だったのかもしれないとブルックス氏は言う。
こうした話の中でサムライが悪役になることも多く、それもこうした説にある程度の信憑性を与えています(パール・モスコウィッツ氏)
 現代でも、こうした幽霊のイメージは日本のホラー映画に結び付けられている。

 映画『リング』( 1998年)やその英語版リメイク作である2002年の『ザ・リング』に出てくる貞子(リメイク版ではサマラ・モーガン)は、まさに昔からある日本の幽霊のイメージだ。

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展示会延期の裏に幽霊の影が? ワシントンで開催される展示会「超常現象の演出:日本の浮世絵芸術における幽霊と芝居」はもともと2023年のハロウィンの時期に開幕予定だったが、会場内で水漏れがあったため半年間延期されたそうだ。


 日本では現代でも四谷怪談関係の催しをするときは、事前に関係者はお岩が祀られている神社に詣でるという。まさかとは思うが、用心に用心を重ねるにこしたことはないのかもしれない。

 日本の夏は幽霊の出番だ。蒸し暑く寝苦しい夜に怪談を語れば、背筋がぞっとして涼を得ることができるという伝統は今でも盛んだ。

References:Why Images of Ghosts Have Endured in Japan for Centuries | At the Smithsonian | Smithsonian Magazine / written by konohazuku / edited by / parumo

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