モアイ像は歩いてきた。直立させて運んだという説が改めて検証される
イースター島のモアイ像 image credit:unsplash

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 イースター島に点在する巨大なモアイ像の謎のひとつに、「どうやってあの巨石を運んだのか?」というものがある。
 
 長年にわたり、そりで寝かせて運んだ説や、人力で転がした説などが語られてきたが、今回改めて注目されているのが、2012年に提唱された「直立させたモアイ像を人間が運んだ」という、いわゆる“歩かせた”説である。


 
 アメリカの研究チームが、物理学・3Dモデリング・実地実験を通してこの説を検証したところ、モアイ像は直立したまま、ロープを使って左右に揺らしながらジグザグに“歩くように”運ばれていた可能性が高いことがわかってきた。

この研究成果は『Journal of Archaeological Science[https://linkinghub.elsevier.com/retrieve/pii/S0305440325002328]』誌(2025年10月4日付)に発表された。

モアイ像とは?長期にわたって作られた巨石の守り神

 チリ領の太平洋上に位置する火山島、イースター島に点在する巨大な石像「モアイ像」は、この地に住む先住民が設置したものだ。

 その数は900体以上にのぼり、ほとんどが凝灰岩(ぎょうかいがん)という、火山から噴出された火山灰が地上や水中に堆積してできた岩石からできており、その石の多くは島南部のラノ・ララク火山の採石場から切り出されている。

 制作時期はおよそ7世紀から17世紀頃にかけてで、特に10~16世紀に最も盛んに作られたと考えられている。島では金属器が使われていなかったため、石製の道具を使って彫刻が行われていた。

 像の高さは平均で4mほどだが、最大で10mを超えるものも存在し、重さは90トン以上になるものもある。

 頭部は大きく、胴体まで彫られており、像の一部には「プカオ」と呼ばれる赤い帽子状の石を載せたものもある。

 これらの像は祖先崇拝や守護の象徴とされ、アフと呼ばれる祭壇に立てられていたが、どうやってこの巨石を島の内部に運んだのかという点は長らく大きな謎とされてきた。

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 17世紀に最初のヨーロッパ人がこの島に到着したとき、他の陸地から数千kmも離れた、東西約22km、南北約11kmの小さな島には、わずか数千人の住民しかいなかった。

 にもかかわらず、900体を超える巨大な石像が存在していることから、「かつては数万人規模の人口がいたのではないか」と考えられていたが、最近ではそれほど人が住んでいなかったというのが主流の説となっている。

巨石をどのようにして運んだのか?様々な説

 さらにモアイ像の運搬方法はこれまで、いくつかの説が存在してきた。

 ひとつは、像を横に寝かせ、そりや丸太を使って引きずる方法。もうひとつは、像を横倒しのまま転がすようにして運ぶ方法だ。

 しかしどちらの説も、像の重さと不安定な形状から、実際に運搬するには非常に多くの人員や資材を必要とすること、あるいは像の損傷リスクが高いことが問題とされてきた。

 その中で登場したのが、「モアイは直立させたまま左右に揺らして歩かせたのではないか」という、いわゆる「歩かせた説」だ。

 このアイデアは、島に残る口承伝承にも見られる。ある古い歌では、祖先がモアイ像を歩かせて祭壇まで運んだと語られている。

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2012年、「歩かせた説」の検証実験

 この説を実験的に検証したのが、アメリカ、ニューヨーク州立大学ビンガムトン校の考古学者カール・リポ氏とアリゾナ大学のテリー・ハント氏によるチームだった。

 彼らは2012年、高さ約3m・重さ5トンのモアイ像のレプリカを使用し、3本のロープと18人の作業員だけで「歩かせる」ようにして像を前進させる実験を行った。

 ロープを左右と後方に配置し、左右に揺らしながら前方に進めることで、像は本当に歩くように移動した。

 だがこの実験はテレビ番組『NOVA』の撮影のために短時間で行われたもので、理論的な裏付けや再現性、運搬条件の詳細などには限界があった。

 それでもこの「歩かせた説」は、モアイ運搬の新たな可能性として注目を集めた。

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プカオの設置にも新たな仮説

 2018年、リポ氏はさらに別の研究成果を論文に発表[https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S030544031830195X]した。それは、モアイ像の頭上に見られる「プカオ」と呼ばれる赤い石の帽子についてである。重さ13トンにもなるこの石をどのように像の上に載せたのか?

 リポ氏は、プカオをロープで巻き付けながらスロープに沿って転がすようにして、像の頭部に配置したのではないかと考えた。

 さらに2019年には、定量的な空間モデリングに基づいて、モアイ像の設置場所が淡水の入手しやすい地点と一致していることを明らかにし、「祭壇の配置は水源との関係が深い」とする論文を『PLOS One』[https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0210409]誌に発表している。

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「歩かせた説」をさらに検証、物理的裏付けを得る

 今回の研究では、「歩かせた説」が物理学的にも成立するかどうかを検証するため、像のサイズ・形・重心・必要な人数・移動速度などを数値化し、3Dモデリングを活用した予測モデルと実地実験を組み合わせて実施された。

 特に注目されたのは、島の古代道路沿いに残された62体のモアイ像だった。

研究チームは、島内の962体のモアイ像を対象に調査し、その中から「運搬中に倒れて放棄された」とみられるものを分析した。

 これらの「道のモアイ」は、基部が広く肩幅よりも下部が太い形状で、重心が低く安定していた。また全体に6~15度の前傾があり、左右に揺らしたときに自然に前へと倒れ込みやすい構造だった。

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 これにより、像の設計そのものが「歩かせて運ぶ」ことを前提としていた可能性が浮かび上がってきた。

 一方で、祭壇に立てられた像は肩幅が広く、基部が狭く、安定性に欠ける。こうした像は、運搬後に基部が削られ、前傾が修正されている形跡があり、設置時に調整されたと考えられている。

 また、道のモアイには、目をはめ込むためのくぼみ(眼窩)が存在していないものが多く、最終工程に至っていない像だったことを示している。

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18人で100m移動。効率的な輸送も可能に

 研究チームは、道のモアイの構造をもとに、重さ4.35トンのレプリカを製作。像の寸法・質量分布・素材などを正確に再現し、歩かせた輸送実験を実施した。

 参加者は左右のロープに各4人、後方の制御ロープに10人の計18人。ロープで像を揺らしながらジグザグに前進させ、わずか40分で100mの距離を移動させることに成功した。

 この方法は振り子のような物理原理を活かし、摩擦を最小限に抑える。いったん揺れのリズムが整えば、少人数でも安定した歩行が可能になり、数週間で数kmを移動できる計算になるという。

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古代の道も歩かせるために作られていた?

 研究チームは、像だけでなく、モアイ像の運搬に使われた道路の構造にも注目した。島内の道路は断面がわずかに凹んでおり、横倒しにした像を転がすには適さない形状だが、立てた状態で左右に揺らして進めるには安定性を保ちやすい構造だった。

 また、道路の平均勾配は2~3%と緩やかで、一部の急な斜面でもスロープと段階的な揺れで制御すれば、登りきることができたという。道そのものが歩かせた運搬に適した設計だった可能性が高いという。

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 歩かせた説は、決してリポ氏が最初に提唱したものではない。1980年代には、チェコの実験考古学者パベル・パベル氏がノルウェーの探検家トール・ヘイエルダールとともに、実地での実験を行っていた。

 当時は16人と1人の指揮者でモアイ像を「すり足」のように動かす方法を試し、一定の移動には成功したが、摩擦が大きく、効率的な前進には至らなかった。使用した像も祭壇に設置するために改造された基部の狭いタイプで、歩かせるには不向きだった。

 今回の研究では、運搬中のモアイ像を再現し、意図的に設計された特徴を持つ像を使った点で、これまでの実験とは大きく異なる。

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科学と文化の融合が過去の技術に光を当てる

 リポ氏は、「考古学は想像や伝説に頼るのではなく、実験やデータに基づいた科学として成り立つべきだ」と語る。

 これまでの研究に対する批判の多くが、十分な証拠を示さない主張だったことに対し、今回の研究では理論と実験の両方を使って、説の正しさを検証した。

 物理学などの科学を活用する「実験考古学」は、昔の人々がどのようにして巨大な建造物を作ったのか、その技術や知恵を科学的に明らかにする手法として注目されている。

 今回の研究では、「モアイ像は歩いた」という島に伝わる言い伝えが、実際に可能だったことが示された。

 伝承がただの神話ではなく、現実的な技術に基づいていたことを、科学の力で裏付けられたようだ。

References: Eurekalert[https://www.eurekalert.org/news-releases/1101043]

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