汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は宇治市莵道、宇治川右岸にある史跡。宇治川の治水整備のため、天下人・豊臣秀吉によって築造された堤跡。
天下人・豊臣秀吉の治水整備遺構
宇治市、宇治川西岸。この日たまたま自転車で観光中、対岸の鬱蒼とした森を発見し、そこに野鳥・サギの群れを発見。なんだあれは、と思い、反対岸へ。その由来となった5世紀初頭の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の宇治墓。さっき見た鬱蒼とした森は、この古墳、前方後円墳だったことが判明。
宇治川はそれまで宇治橋下流から分流して北西方に流れ巨椋池に合流していましたが、北方に流れる流路にまとめ、伏見城下に導水。それに伴い、この辺りに堤(堤防)が設置。
この宇治川太閤堤跡は、16世紀末築造されたのち河川氾濫のため埋没。近代に新たに現堤防が築かれ河川範囲から外れたため良好な状態で遺構が見つかり、当時の治水・交通に関する施策と土木技術を具体的に示す貴重な遺跡として保存。
豊臣秀吉の拠点・伏見の都市整備跡!宇治川堤防と旧街道☆「太閤堤 槇島堤址」
今回は残念ながら、遺跡を目の当たりにすることは叶いませんでしたが、また施設完成後に訪れてみたいと思いました。
基本情報
名称:宇治川太閤堤跡場所:京都府宇治市莵道丸山77