昨年放送された朝ドラ『花子とアン』で国民的女優となり、年末の『紅白歌合戦』では司会も務めた吉高由里子。なのに今年に入るとぱたっと露出が減り、一部報道では"朝ドラ後の燃え尽き状態なのでは?"とも囁かれている。



 また、燃え尽き状態の要因のひとつとして挙げられているのが、交際していたRADWIMPSのボーカル・野田洋次郎との破局だ。吉高と野田は2013年2月に「週刊女性」(主婦と生活社)が交際を報道、一時は破局も噂されたが、昨年の5月には「女性セブン」(小学館)がふたりのデート現場&半同棲情報をキャッチ。しかし今年2月には「FLASH」(光文社)が破局したと伝えている。しかも、野田のほうから吉高を振ったらしく、吉高の親友であるハリセンボン近藤春菜らは吉高を慰める女子会を開いたといわれている。

 以前、本サイトでも報じたが、ずっと信頼してきた女性マネージャーが辞めてしまったこともあり、吉高は情緒不安定に。そんな彼女を野田は支えきれなくなった──。
破局の理由はこのように伝えられているが、はたしてそれだけが原因だったのか。野田が先日発売した日記『ラリルレ論』(文藝春秋)を読むと、そんな疑問が浮かんでくるのだ。

 まず、音楽に明るくない読者のために少し説明すると、野田が所属するRADWIMPSは10・20代から圧倒的な人気を集めるロックバンド。二宮和也妻夫木聡小栗旬佐々木希長澤まさみベッキーといった芸能人にもファンが多く、今回出版した『ラリルレ論』も発売1週間も経たないあいだに7万部を突破したほど。6月には野田が主演する映画『トイレのピエタ』も公開予定で、現在、若者世代に絶大な影響力を誇るミュージシャンのひとりだ。

 で、そんな話題の『ラリルレ論』なのだが、これは昨年2月から7月にかけて行われた全国・海外ツアー中に野田が綴った日記と補足を収録した本。
写真などのビジュアルページは少ないにもかかわらず約450ページという分厚さで、ツアーの様子のみならず、野田自身の生い立ちから映画出演にいたる過程なども書かれている。もちろん、なかには吉高との関係を匂わせる記述も登場している。

 たとえば、2014年2月21日の日記には、こんな言葉が綴られている。

〈今日はとことんダメ。気持ちがだめ だめだめ あの人に言われた。「わたしと別れたら誰とも結婚できないよ」 最初はふざけんなと思った。
でもそのうち本気でそう思った。もう歌を歌いすぎた。歌は消耗する。摩耗する。最後は終わった。もう賞味期限切れだ。
メンバーと、メンバーの家族のために俺は生きる。〉

 結婚も間近かと見られていたふたりだが、どうやら実際、吉高も野田も結婚を意識していたことが伺える。なにより当時は吉高よりも野田のほうが不安定であったようにも感じられる記述だ。

 さらにつづけて同じ日の日記には、知り合いの小さな子どもに「好きになっちゃった」と言われたことを綴り、〈告白嬉しかったよ。忘れないよ。でも俺好きな人いるから、ごめんねって言っちゃったけど〉と書いている。
が、翌日22日には、

〈終わりなら終わりってわかりたい。力を注いでいいなら注ぎたい。全力で。誰のためにも、誰の幸せにもならないことに、このただでさえ小さな、俺の全力は使えない。〉

 とも述べている。これが吉高との関係をさしているのかは不明だが、もしそうなのであれば、この時期には別れるかどうかで揉めていたのかもしれない。


 ただ、ツアーも終盤にさしかかった6月10日には、〈好きだなぁと思う。好きで好きで、たまらないなぁと思う。とっても愛しくて、他の人に伝えたくなる。でも独り占めしたくなる。相反するようで、矛盾しない。幸せだなぁと思う〉という文章も。このように、ほとんどの恋愛がそうであるように、ふたりの恋愛も浮き沈みが激しかったようにも思える。

 しかし、野田の日記を読んでいて気になるのは、彼のナイーブさ、あるいは天然さだ。〈生まれてきたから死ぬしかねぇじゃん。こんなことで月に一回くらい僕は激しく落ち込む。悲しくなって、なにも手につかなくなる。やる気が起きない〉というような記述からは、いかにもミュージシャンらしい繊細さが感じられるが、感性が敏感すぎるのか、思考があちこちでスパークするのだ。

 たとえば、あるときは"政治家は金の亡者"と言い、〈そもそも、じゃあなぜ政治家は偉いのか。それは政治家が何をするのかに非常に大きく関わってくる。それはずばり『立法』である〉と三権分立について解説。またあるときは、アメリカの自由と日本の自由を歴史的に比較したかと思えば、突然、〈おっぱいフェチ。脚フェチ。おしりフェチ。二の腕フェチ。うなじフェチ。お腹フェチ。ジャンルは細分化されるね〉となぜかエロの話題に。

 とくに驚かされるのが、ある日の日記。愛車の話からエコブームに話題が移り、さらにiPhoneのヒットの裏側に中国の工員たちの劣悪な労働環境があることなどを指摘し、〈この冬、家の暖房が壊れた〉とエアコン修理の話に着地。この日記は17時に書き始めたとあるが、最後には〈ちょっと待て。日記を書いてたら朝の4時だ〉と綴っている。もしかして、約12時間もかけて日記を書いていたの?と心配になってしまう。いやはや驚異的な集中力なのか、それとも凄まじいぼんやりさんなのか......。

 興味関心の幅が広いことはアーティストとしてはとても大切なことだと思う。だが、それにしたって野田の激しすぎるパッションについていくのは、なかなか大変なことだろう。吉高も、Twitterなどで発信される詩的な言葉を見ていると自由でゆたかな発想力の持ち主であることがわかるが、ときとして"不思議ちゃん"と呼ばれることもある。でも、不思議ちゃんぶりならば、野田だって負けず劣らず、いや、もっと縦横無尽な不思議ちゃんだといえそうだ。

 はたして、ふたりが別れを選んだ理由はなんだったのか。その真相はわからないが、吉高だけに問題があったわけではないのでは......と感じずにはいられない、そんな野田の日記なのであった。
(大方 草)