
■最初の"挫折"は学生時代「プランが一回全部なくなった」
学生時代は「手に職つけなあかんというので、(将来は)調理師さんとか美容師さんが頭にあった」というが、肌が弱いこともあって断念。「(人生の)プランがそこで一回全部なくなった」という。
その後、19歳でお笑いの世界に飛び込んだ。デビュー1年で、ダウンタウンがMCを務める番組「4時ですよ~だ」(MBS)に出演。番組は関西で社会現象となるほどの人気を獲得し、今田も一気に人気者になった。
だが、ダウンタウンが東京に進出すると、大阪に残った今田の仕事は激減。所属会社の吉本興業の指示で、低迷していた吉本新喜劇の舞台に上がることになり、22~23歳の若さで座長も務めた。
課されたノルマは"1年間で20万人動員"という無謀なものだった。達成できなければ吉本新喜劇は潰れてしまう。だがそんなタイミングで、新喜劇の座員だったチャーリー浜のギャグ『あ~りませんか』が大流行し、新喜劇は一気に息を吹き返してノルマを達成。その後、今田も活動の拠点を東京に移した。
■「大学生の恋愛みたい」!?プライベートを暴露
当時、"共演者はみんな敵、自分が一番笑いをとる"と思っていたという。尖っていた時代を経て、今、若手には「『あの若手えらいとんがってる』とか(言われるけれど)、それはそれで、そういう時期でいいじゃん、とは思いますけどね。そこで嫌われて仕事なくなったとしても、実力さえあったら、(その経験が)次の成長につながっていくんやろな、と思いますから」と、あたたかい目を向ける。
そんな今田を、すぐ近くで見てきたのが千原ジュニア。ジュニアはスタジオでインタビューを見守り、「今田耕司という人は、家を出る前に誰もはがすことのできない仮面をつけて家を出るんです。(帰宅後の)熱いシャワーだけが、この仮面を外すことができる。誰一人、今田耕司の本当の姿は見たことない」と表現。
さらに「(今田さんには)座右の銘があるんです、"不自然体"。自然体って言葉あるでしょ。それのどこがプロやねん、と。どんな悪い状況であれ、どんなバッドコンディションであれいつも同じところを出す」と、今田のポリシーを明かした。
インタビューでは、今田のプライベートにも斬り込んだ。
■「誰かが見てくれてるというのはホンマやな」
インタビューでこれまでを振り返る中で「"やばい、やばい"を繰り返してますよ。その時に誰かが声かけてくれたりとか」「(行き詰まった時に)『こうしてみたら』と言ってもらえるのが、自分のラッキーな部分」という今田。続けて「人から見える自分の方が面白いというか、気づかされる。自分で自分のことがわかってないと思うんです。"人から見た自分が自分やな"と思って」としみじみ。
「僕、番組をやってる人って、一回何かの番組でお会いしてる人がけっこう多かったりします。その人が番組に呼んでくれたりとか。ディレクターになった時に一緒にやりたいって言ってくれたりっていうのでずっとつながってきた気がします」と人の縁に思いを馳せ、「"誰かが見てくれてる"というのはホンマやな」と、ピンチを跳ねのける生き方の神髄を語った。
インタビューを終えた林先生は「すごい才能。
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