
「SDGsの模範生」 脱炭素に向けた取り組み

リサイクル率は95%、ほぼ100%に近い。いま流行りのSDGsの「模範生」です。すごいでしょ。みなさんが使った段ボールを回収して、製紙の工程は「洗濯機」と思ってもらえばいい。古紙を大きなカメにドーンと入れてかき回すわけです。その後は、しぼって、乾かす装置にかけて紙になります。

プラスチックごみなど深刻な問題があります。その解決に木材パルプを原料とした素材から作られる「セルロース」があります。
大手商社に入社後2か月で「出向辞令」

中学・高校とバレーボールに打ち込んで、就職もバレーボールの縁で住友商事に入りました。「住友商事の女子バレー部のコーチになってくれ」ということでね。だから「ヨッシャ、ヨッシャ」と引き受けました。最初に配属されたのは、私が入った年にできた新しい部門の物資部紙パルプ課。できたばっかりの部署で配属第一号だから、しばらくそこで仕事ができるのかと思っていたら、入社した年の6月1日に「攝津板紙」という会社に出向辞令が出ました。
―――攝津板紙の創業者から仕事のイロハを教わったそうですね。
最も重要な教えは「現場にこそ真理がある」ということですね。要するに「仕事は現場を知らないとならない」ということです。
―――でも、どうしてもある程度ロスは出るものですよね?
だからそれは「こぼれる利益」だと。利益をこぼしているのだとね。「ロスを少なくすることを考える」、それが経営の基本だと教え込まれました。「現場を知ること」と「ロスを小さくすること」、この2つを徹底的にやれとね。そのためには「ネクタイはいらない、万年筆もいらない」と厳しく言われました。それができるようになるために一度工場で寝てみろと。
「工場に寝泊まりしてみろ」の一言が大きな転機に

仕方ないから工場の抄紙(しょうし)機の横でゴザを敷いて寝ましたよ。配管には水が流れていますが、夜になって機械が止まると残った水の音が聞こえる。
―――そこから見えてくるものがたくさんあったのですね。
現場の人たちもそれまでは「商社から来た人間」と思っていたけれど、自分たちと同じ仲間だと思ってくれるようになりました。そこで仲間意識というか、同僚と感じてくれて、仕事が非常にしやすくなりました。
海外支店で本社の反対を押し切って大改革「現地の人との差別をなくす」

50歳前ですね。マレーシアのクアラルンプール支店長として赴任しました。なぜ辞令が出たかというと、前の支店長がチョンボをしてややこしいことになって、支店自体がおかしくなっていたのです。「支店を立て直すということで行ってくれ」と言われました。そこではいろんな改革をしましたが、その中で一番の改革は差別をなくすことでした。
―――雇用のですか?
例えば、当時は出張した時に出張手当が日本人と現地の人たちでは違っていました。
―――本社の反対を押し切ってまで手当を一緒にして、その結果、何が変わりましたか?
ローカルの人たちが本気で仕事するようになりましたね。ローカルのネットワークはものすごいですからね。インドの人たちにはインドの人たちのネットワークがあるし、中国の人たちには中国の人たちのネットワークがある。マレーシアの人たちにはマレーシアの人たちのネットワークが独自にある。このネットワークを100%発揮できたので、当時、マレーシアでは三井物産が圧倒的に強かったけれど、住友商事がドドドと猛追しました。
赴任先のロンドンで「新聞辞令」で知ったレンゴー社長就任
―――その次の海外赴任はロンドンでしたよね?
これも事件処理のような感じですね。銅地金事件ってあったでしょ?住友商事で。
―――トラブルが起きた支店の後始末をしに大坪さんが駆り出される?
どうもそんな感じやね。ロンドン赴任は3年でしたが、レンゴーの社長になると知ったのはロンドンでね。ある日、新聞を見たら「次期レンゴーの社長に大坪清」と書いてある。いわゆる「新聞辞令」というやつです。2000年4月に住友商事の副社長に昇進しましたが、わずか80日の在任期間でレンゴーの社長になりことになりました。
テレワーク推進が叫ばれるが「対面で話すのは、絶対必要」

トップは全体を見ないといけないのでね。全体を見ていろんなことを判断しないとなりません。そのためには会社全体をある程度理解する努力をしなければならない。
―――常にいろんな判断や決断が求められますね。
日々、決断。経営者は毎日が決断、ということやね。判断するということはいろいろと難しい。何よりも難しいのは、あまりに知恵ばっかり働かせてもいかんし、あまりに義理を立ててもいかん。そして、あまりに情ばかりに走ってもいかんとこやな。
―――新型コロナウイルスの影響で働き方も随分と変わりました。
大いに変わったね。1つは、新型コロナウイルスで会社全体の勤務形態が変わりました。テレワーク、テレワークと言っていますが、私は必ずしもテレワークは賛成派ではありません。むしろ時差出勤をしてでも、1時間でも2時間でも良いから会社に出てきて、対面でいろいろなことを考えてみる。自宅でパソコンを使って仕事をするのは、それはそれでいいのかも知れないけれど、本当のところは、対面で話をするのが絶対必要だと思うね。
80歳を過ぎてもハッピーリタイアは考えない

経営者の夢ですか?私は、それなりの成果というか、レンゴーおよびレンゴーグループの会社に対してのそれなりの成果ができあがってきていると思っています。だから次は「業界全体を底上げする」ということですね、夢は。この業界で非常に困っている会社もおられますので、その会社がレンゴーグループに入りたいと言ってこられた時には、いろんな条件はありますが、一応その会社や従業員が生活できるような体制を作りたいと思っています。
―――困っている会社を助ける?
そう。でも助けるにあたってはいろいろなやり方があります。私はこの年齢になりましたが、「助けて欲しい」という要望があれば自ら社外役員として入りこんで根本的に会社を立て直そうかなと思っていますね。
―――大坪会長にはハッピーリタイアという言葉はないのですか?
いやいや、ハッピーリタイアしたいけどね。2025年の大阪・関西万博くらいまではいまの形態でやっていこうかと思っています。あと4年は目を光らせるのでなくて優しい目で眺めていくと。そういう感じです。
「これから」が「これまで」の会社の価値を決める
―――最後に、大坪会長にとってリーダーとは?
レンゴーは創業以来、100年110年という歴史を刻み、いろいろとやってきました。けれど、それらが本当に正しかったのかどうかは「これからが、これまでを決める」という言葉通りですね。つまり、「これから」の会社のありようが「これまで」の会社の価値を決める、ということです。リーダーの役割は、まさしく「これからが、これまでを決める」。この一言に集約されていると思う。
■大坪清 1939年大阪生まれ。1962年、神戸大学経済学部を卒業し、住友商事入社。1988年、クアラルンプール支店長。1992年、取締役。1996年、常務。2000年、副社長。同年6月レンゴー社長。2014年、会長兼社長。2020年、会長に。関西生産性本部会長など財界、業界の要職を歴任。
■レンゴー 1909年創業。日本初となる段ボールの製造を始める。関東大震災で拠点を大阪に。1972年、レンゴーに社名変更。国内外に100社以上のグループ会社。売上高約6800億円・グループ従業員約2万人。
※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時40分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。
『ザ・リーダー』(MBS 毎月第2日曜 あさ5:40放送)は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。