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1980年代の代表的な民放の連続ドラマを自分なりに各年ひとつだけ選んでみた。必ずしも最高視聴率のドラマではなく、記憶に残るドラマであるという基準で、異論もあるかとは思う。
・1980年「池中玄太80キロ」松原敏春脚本
・1981年「想い出づくり。」山田太一脚本
・1982年「北の国から(前年から2クール)」倉本聰脚本
・1983年「金曜日の妻たちへ」鎌田敏夫脚本
・1984年「スクール・ウォーズ」長野洋脚本
・1985年「毎度おさわがせします」畑嶺明脚本
・1986年「男女七人夏物語」鎌田敏夫脚本
・1987年「パパはニュースキャスター」伴一彦脚本
・1988年「抱きしめたい!」松原敏春脚本
・1989年「愛しあってるかい」野島伸司脚本
・1990年「渡る世間は鬼ばかり」橋田壽賀子脚本
・1991年「東京ラブストーリー」坂元裕二脚本
1983年には視聴率45%を記録した「積木くずし」や「ふぞろいの林檎たち」もあるが、「金妻(金曜日の妻たちへ)」ブームでHONDAプレリュードがバカ売れ、ロケ地の美しが丘は人気沸騰。テレビが時代を写す鏡だとすれば欠かせないのが「テレビドラマ」だ。クールジャパンのヒントになるコンテンツであろう。
1970年代のテレビドラマは、映画不振の時代に映画系制作会社が監督メインのワンカメのフィルムでテレビの連続ドラマに進出し、ハンディVTRカメラの技術革新でマルチカメラで脚本家メインのテレビ局制作が応戦した時代であった。
1980年代はVTRドラマが視聴率も内容も上回る決着をつけた。脚本家の時代ともいえるくらい、時代に敏感なスター脚本家はヒットを連発し、若手の有力脚本家もデビューした。
また、山口百恵の「赤いシリーズ」(1974~1980)や「スチュワーデス物語」(1983~1984)、「不良少女と呼ばれて」(1984)などの個性的なドラマでヒット連発した大映テレビドラマも忘れられない。もしかしたらこれらが「韓流ドラマ」のルーツかもしれない。
実際、「赤いシリーズ」はアジアでも大ヒットしている。アジアの国民性やローカライズを考える時、ドラマコンテンツのアジア流通のポイントは1980年代のドラマ作劇に学ぶことが多い。
いわゆるバブル景気とは1986年12月から1991年2月まで、51カ月間の資産価格の上昇と好景気、それに付随した社会現象であるそうだ。「男女七人夏物語」から「東京ラブストーリー」まで、恋愛ドラマが時代を牽引しているのは、テレビドラマが時代を写す鏡であったからだ。
この頃のドラマはみんな「ディスコでロケしてる!?」という印象だ。それに対して、最近のテレビドラマに恋愛ドラマが少ないのは、時代の鏡ではないからだろうか。ロケをしても「居酒屋」だ。
一方で「渡る世間は鬼ばかり」(1990~2011)が高視聴率で発進しているのは、バブル時代のカウンターとして、逆張りの企画が支持を集める証明である。いわゆる「トレンディ・ドラマ」に追随した「もどき」のマーケティングドラマの多くは、討ち死にしている。
未来のヒット商品の予測は難しいだけに、制作者は過去に学ぶしかない。温故知新、古きを訪ねて新しきを知る。普遍の骨格を時代の鏡に写してみるのも、ひとつのアプローチではないか。
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