山梨の小さな書店で生まれた読書好きの少女は、いまや日本で最も注目を集める作家となった。

トップのスキャンダルによって失墜した日本大学を救うべく立ち上がったのは、同校の卒業生でもある作家・林真理子氏。

“救世主”として就任した林理事長は、周囲の期待通り日本大学を再生し得るのか。

母校立て直しへの挑戦、実母の介護経験を経て感じた「介護の格差」、高齢化社会の明暗…日本の未来についての提言を伺った。

作家が理事長になった日

―― 林先生の日本大学の理事長就任のニュースには非常に驚きました。混乱の中にあった日本大学の“再建”は、作家として確固たる地位を築いた先生にとってはある種の「賭け」でもあったのではないでしょうか。

林 個人的な気持ちよりも、「私を選んでくれた日本大学に応えなくてはいけない」という気持ちが強かったです。前理事長はあってはならない不祥事を起こしてしまいましたが、「まともな人間がまともなことをすれば日本大学は再生できる」と信じています。

―― “お詫び”から始まった7月の就任会見には心を打たれました。

「学生ファースト」を掲げられていましたが、林先生のご就任は学生の皆様にどのような影響があったとお考えですか。

林 私が理事長に就任するまでは、学生は私のことを知らなかったと思うんですよ(笑)。でも、マスコミの方が“騒いでくれた”おかげで、「何か新しいことが起こるな」という期待感は持ってくれたと思います。

―― ご就任からまだ3ヶ月弱(※)ではありますが、学生の皆様とのエピソードがあれば教えてください。
※本記事の取材日は2022年9月29日

林 学生の会議に参加してみなさんの声を聞きました。そこで感じたことは、意識が非常に高く、グローバルな視点を持っている学生が多いということ。

「なかなかなもんだな」と思って感心しました。

―― ご自身の“日大生時代”と比べていかがですか。

林 私が学生だった頃は、こんなにしっかりしていなかったと思います。まだ将来のことなんて何も考えていなかったし、半分遊びに行くような感覚で大学に通っていましたね(笑)。それに比べると、今の学生たちは「将来こうなりたい」と明確に考えている。私のときとあまりにも違って、びっくりしました。

とても期待しています。
作家・林真理子氏「舅・姑の介護を“タダ”でする必要はない」

学生の声を聴く林理事長(提供:日本大学新聞社)

68歳で大事業に挑戦できるなんて「面白い」

―― 作家と理事長の職務とでは、似通ったことのほうが少ないのではないでしょうか。”日大再生”という大事業に臨む決断は、どのような思いでされたのでしょうか。

林 たしかに作家業とはぜんぜん違ったお仕事ですよね。でも、この年齢で全く別のことをやるのは「面白いだろうな」と思っています。

以前、NHKの「チコちゃんに叱られる!」という番組で、「大人になるとあっという間に1年が過ぎるのはなぜ?」という回がありました。

チコちゃんの答えは「トキメキがないから」。

つまり経験したことばかりやっていれば、「時間はあっという間に過ぎるんだよ」ということだったんです。

私は60歳を過ぎてから時間が経つのが本当に早かった。でも、今はひと月が長くって「まだ10月か」という感じですね(笑)。

―― 作家では得難い体験が多いということですね。

林 そうですね。執筆しているときは、あっという間に時間が経ちますから。

例えば、「何月何日までに書いてほしい」と依頼が来る。それから、1年ぐらいかけて取材をして書く。そして、各プロモーションをして売る。それをいくつか同時並行で行ってきました。

このサイクルで生きているときは、時間が経つのがとても早かった。だけど今は毎日がすごく長い。

―― 執筆のペースが変わった一方、これまでの作品が映像化されることは増えるのではないでしょうか。

先日も、日本一の高級老人ホームを舞台にした『我らがパラダイス』が、NHK BSプレミアム制作でドラマ化されるというニュースを拝見しました。作中に飛び交う「介護では、優しい人間が負けるのだ」「日本の年寄りがみんな困ってるのは、自業自得だと思うよ」といった痛烈なフレーズは、今もなお強烈な印象を残しています。

林 NHKのドラマは、手間をかけて作りこんでくれるので「介護における格差」も面白く仕上げてくれるんじゃないかと期待しています。

作家・林真理子氏「舅・姑の介護を“タダ”でする必要はない」

『我らがパラダイス』の直筆原稿(提供:林真理子企画事務所)

 

娘がショックを受けた「介護」の現実

―― 林先生のお母さまも老人ホームに入居されていたと伺っています。『我らがパラダイス』執筆時に取材された高級老人ホームと、お母さまが入居されていた山梨の老人ホームとではどんな違いがありましたか?

林 うちの母が入居していたのは、地方の老人ホームだったので、『我らがパラダイス』に出てくるような東京の高級老人ホームとはまるで環境が違いましたよ。

ただ、「東京の高級老人ホームならいい」ということでもないと思うんですよね。母は山梨生まれです。入居のためだけに故郷を離れ、方言が違う方々とこれまでと全く違う風景の中で暮らすことになれば、つらいのではないかとも考えていました。

―― 当時、山梨の施設を頻繁に訪問されていたと伺いました。率直なご意見を伺いたいのですが、お母さまが施設で介護されている姿を見られたとき、どのような思いでしたか。

林 「あんまりだ」と思うことが、しょっちゅうありましたよ。例えば、定年を迎えた男性が母のおむつを替えてくれることもありました。母はプライドが高い人だったので、年配の男性におむつを替えられることは、本当につらかったと思います。…人手が足りなかったこともひとつの原因ですよね。

普通よりちょっと良い施設に入居したのですが、私が期待しているようなサービスは当時の“田舎”にはありませんでした。本当に良い介護をしている方は、さらに待遇が良い施設に「引っこ抜かれて」しまいますし。

私の娘もそんな様子を見て、相当なショックを受けていました。娘としてもやっぱり思うところがあったんじゃないですかね。高校3年生のときに「老人医療と私達」というテーマで作文を書いたのです。その作文は、校内でも注目を集めて、周りのお母さんたちからも「すごいね」って言われたんです。それまで作文で表彰された経験なんて一度もなかったのに(笑)。

―― どのような内容の作文だったのでしょうか?

林 「祖母のおむつを替えてくれている方が、中高年の男性で私はすごくショックを受けた」と。将来、自分たちにもこのような状況が訪れるのかと思えば、人ごとではない。高齢化社会を考えることは、未来の私達を考えることだと問題提起をしていました。

―― 林先生はその作文を見てどう思われましたか。

林 娘の言っていることは正しいと思いましたよ。当時、私自身も「まだ先の話だ」と思わずに、「もう考えなきゃいけないな」と思わされましたから。さきほど、和田秀樹常務理事が隣にいて同じような話をしていたんですが、「じゃあ、お金があればいいのか」というとそれだけではないんですが…。

作家・林真理子氏「舅・姑の介護を“タダ”でする必要はない」

母・みよ治さんは第二の樋口一葉と謳われるほどの文才があった(提供:林真理子企画事務所)

舅・姑の介護をタダでする必要はない

―― やはり介護の質は「お金」に左右される面が大きいと思われますか?

林 もちろん“比例している”と思います。なぜなら、「お金がある人たち」は、自分が入りたい施設を自由に選べます。もちろん、細やかな気配りで介護をしてくれる方が周りにいれば、お金のあるなしにかかわらず満足できるかもしれません。『我らがパラダイス』では、介護を「人生最大で最後の格差」と書いたけれども。

―― 林先生はその格差を否定的に捉えていますか。あるいは当然だとお考えですか。

林 変えていく必要はあるでしょうね。でも、「お金がある人」たちが自分の好きな施設に入りたいというのは自由ですよね。ここは社会主義じゃないから。

だから、たとえ収入が低くても満足できる介護をどうすれば受けられるのか、ということは考える余地がありますよね。

うちの母なんて山梨の田舎で「普通よりちょっといい」ぐらいの施設でしたが、当時の田舎では“叶わない”ことも多かった…かわいそうだと思うことも少なからずありましたよ。

―― 多くの介護現場が疲弊している現実もあります。介護職員は慢性的な人不足ですが、誰もが介護職に就くことは現実的ではありません。バランスをどう取るかが、今後の社会的な課題のひとつではないでしょうか。

林 人材不足に対しては、賃金をアップするしかないと思いますね。思うけれども…そうね、若い方がみなさん介護をやる国というのもどうなのかな、というのは正直に言えば思ってしまいます。

―― それでは、どのような人が介護のお仕事に向いているとお考えでしょうか?

林 ジェンダー平等なども重要視される現代ではありますが、あえて個人的な見解を申し上げるのですが、介護職に一番向いているのは「中年の女性」だと私は思っています。それも親切な中年女性。優しくて、いろいろなことがわかりますし、何よりも「気が利く」。力仕事も多いのでもちろん若い方の力も必要ですが、配慮が行き届かないこともたくさんあるのではないでしょうか。

やっぱり、中年の女性を手厚い待遇で迎えられるようにして、一度家庭に入った方がまた戻ってくるようなシステムがあるといいですよね。

―― 多くの著作で語られていますが、林先生は女性が仕事を持つことを積極的に勧めていますよね。

林 やっぱり働いてほしいですね。いざというとき自立できる仕事を持っているほうが、結婚生活や人生設計においても自由度が高まると思います。

介護職で言えば、資格や経験がなくともチャレンジしてみるのもありだと思いますね。介護のような人と接する仕事で活躍できる女性って多いんじゃないでしょうか。

―― 一方で家庭内の介護は女性の役割だと思われてきた「歴史」もあります。

林 家庭では役割かもしれないけど、それをちゃんと職業にしてお金をもらえればいいと思うんですよね。別に舅・姑の介護をタダですることないと思うんですよ、私は。介護をするのであれば「しっかりお金をもらいましょう」ということです。ひょっとすれば、姑のおむつを取り替えるのは「イヤ」だけど、他人だったらそんなに「イヤ」じゃないのかもしれない。

―― 「仕事」として介護をすることで、お互いが気持ちよく暮らすことができる。

林 そう。例えば、いかに気持ち良くおむつを交換できるか、恥ずかしがらずにできるか。そういうことをプロとして極めていく。それに対して、お金を出すようにすればいいと思います。

作家・林真理子氏「舅・姑の介護を“タダ”でする必要はない」

団塊の世代が後期高齢者に!

―― 団塊世代がそろそろ後期高齢者になります。この事実に対して、林先生はどのように考えていますか?

林 私の夫も団塊世代です。彼らは若い頃に学生運動をやっていた世代だから、「理屈っぽいは、権利意識は強いは、怒りっぽいは、弁は立つは」で、非常に面倒くさい(笑)。もちろん、みんながみんなそうだとは言いませんけどね。こういう方々の介護は、若い男の子じゃダメ。

―― 「介護の理想」があるとすれば、どのようなものだとお考えでしょうか。

林 やっぱり他人の手に委ねることが理想だと思います。親や配偶者の介護を一人で抱え込んだり、子供がみるのが一番いいと考える方が多い。そんな介護は、もうやめた方がいい。いくら子どもでも疲れますよ。

介護をされる側にも人生最後の時間の過ごし方は、いろいろな選択肢があります。お金がある人だったら、自宅で面倒を見てもらうのもいいと思いますし。

―― 当分先のお話になるとは思うのですが、もしご自身で介護を受けるとすれば、いま仰られたようにご自宅で介護を受けることを希望しますか?

林 ギリギリまで家にいると思います。でも、「いよいよ」というときは、家は売っぱらって、気に入った施設で楽しくやりたいな。

―― そのようなお考えを周囲の方にもお伝えしているのでしょうか。

林 もちろん。娘にも言ったんです。「もう少ししたら、小さいマンションに引っ越そうと思ってる」って。そうしたら、「回り道になるだけだから、直接施設に行けばいいじゃん」なんて言われました(笑)。

―― (笑)。そういったお話は頻繁にされるのですか。

林 たまにね。老後のことは、「基本は自分で」と考えています。自分で貯めたお金を老後のために使って、子どもに迷惑をかけないようにしようと思っています。

―― 介護についてご友人とお話されることはありますか?

林 しますよ。すごくお金持ちの友達は、「有り金を使って自宅でみてもらう」と言っていますね。

作家・林真理子氏「舅・姑の介護を“タダ”でする必要はない」

大きな注目を集めた林氏の結婚式(提供:林真理子企画事務所)

 

介護職に等級を作る!?

―― 介護職の賃金についても林先生のお考えを伺いたいです。「賃金が仕事に見合わない」という声をよく聞きますが、長く働きたいと思える仕事にするためにはどのようなことが必要だと思われますか?

林 「誇りを持ってもらう」ことが一番だと思います。例えば、資格がある人とない人とで賃金に大きな差をつける。“等級”みたいなのを決めて、内部でエリートをつくるしかないんじゃないかな。

介護大学を卒業した方はすごく高い賃金に。または、試験を通るごとにB級介護人やA級介護人などとランクが上がっていく。そういう方法も「あり」だと思いますね。

―― たしかに一流の腕を持つ料理人のレストランは、値段が高くても人が集まります。ビジネスの発想はひとつの解決手段ですね。

林 そうですね。お金持ちの方たちは、ファンドをつくって、自分たちのために最高の介護人を雇うというのもありじゃないですかね。私は将来そういうことも起きる気がしています。

―― 「A級介護人」とそれを求める方々との需要と供給が合うときが来るかもしれないですね。

林 最近は「老後は一緒のマンションに住もう」と考えている方々もいますから。5・6人のグループで一緒に住んで、最高の介護人にお世話をしてもらう…楽しそうですよね。

―― 『我らがパラダイス』執筆時に富裕層の方々にも取材されていたと伺いました。印象に残ったことがありましたら、教えてください。

林 お金がある人の老後は明るいなって。やっぱりお金は重要です。ただ、これがまた難しいところで、若いうちから蓄えできる人なんていませんからね。若いときなんか老後のことなんて考えていません。「成功」した人ならともかく、子供の教育費や親のことで精一杯で、お金なんか残らないよね…。

―― 「老後のための蓄え」を若いうちからつくることは非常に難しいですよね。

林 私も最後に残っている財産は、現金ではなく「家」だと思っています。その家を売って気に入った老人ホームか、友人たちと一軒家をシェアして過ごす。それがいいなと思っています。週刊誌にはよく「家は売るな!」なんて書いてありますが(笑)。

超高齢社会がやってきた

―― 高齢化社会が進んでいます。先生はこのことをどのように捉えていますか。

林 ある程度まではポジティブに捉えていますよ。でも、車椅子に乗って「時間をやり過ごす」ように生きている高齢者の方を見ると、残念ながらそう思えない面もあります。

「歳を取ることは素晴らしい」「80歳を超えてもなお人生は楽しくなる」。そんなふうに考えられるのは、実際には一部の方だけだと思うんです。やっぱりみんな認知症や不安と闘いながら生きているわけです。

ですから「老後はつらくて、お金がかかって大変なもんだ」と割り切ることも重要だと思うんです。そうすれば、地に足がついた人生設計ができます。

健康寿命を伸ばす努力をする、中年以降はお金を貯める、認知症になったときに頼れる人を見つけておく。母を見ていたので、なるべくおむつを取り替えてもらわなくても済むように…など、自分で備えるしかありません。

―― 「終活」が一種のブームとして語られることもありますが、自身の死と向き合うことはすごく怖いことですよね。

林 怖いことだと思いますよ。私もこの頃、周りで人がよく亡くなります。だから、いろいろ考えますけど、考えたって仕方がないとも思っています。

―― 考えたって仕方がない…。

林 だって、お金を貯めていけばいいかとも思うけども、やっぱり“今”楽しく使いたい。友達とご飯を食べて、美味しいワインを飲んだりすると楽しい。食べ物の誘惑に勝てず、まだまだお金を貯められないので…困りましたねえ(笑)。

作家・林真理子氏「舅・姑の介護を“タダ”でする必要はない」

 

「低め安定」の若者に”野心”を伝えたい

―― 高齢化社会だけでなく、若年層の格差も社会課題になっています。

林 もうこれは、いかんともしがたいことですよね。今の若い人たちは「ほどほどでいい」と考える人が多いんです。努力を懸命にする人が「ガツガツしている」と言って叩かれることもあります。穏やか過ぎるというか、野心がないというか。

でも、その人たちが「親ガチャ」と言って「親がこうだったから仕方がない」と“低め安定”にとどまっている間にも、やりたいことをどんどん実現している人もいるんです。もちろん、どうにもならない現実もありますが、私なんかは「なぜそのことに気づかないのかな」と思いますけどね。

―― ネットであらゆる情報が手に入るのに、「隣」で頑張っている人の姿が見えていない。

林 そうですね。そのような状況があるからこそ、私は学生たちに野心の大切さを伝えていく使命があると思っています。

今から半世紀近く前になりますが、私は就活で40社以上の会社を受け、すべて落ちました。それも、「面接まで行って」です。いい加減、心は萎えました。しかし、そういう人間が大学の理事長になっている。

この事実に励まされる人がいればいいなと考えますが、そうならないのが今の若者。そんなもんで励まされはしないけど、「へえ。そんなおばさんがいたんだ」と思ってくれたらいいですよね。

―― いま、林先生が20代だったら、デビュー作の『ルンルンを買っておうちに帰ろう』には、どんなことを書かれると思いますか?

林 そうですね。今の時代は、「猫なでながら生きてる私…」みたいな、まったりとした感じのものが流行るから、そういうものを書いていたんじゃないですかね(笑)。

―― そういった風潮に対しては、刺激が足りないと先生は感じているのではないのでしょうか。

林 すごく思いますよ。私の『野心のすすめ』が50万部も売れたのは今から9年前です。当時は、「どん底から野心を持って這い上がり、夢を実現する」ということを書いた本を“時代”が買ってくれたし、受け入れてくれた。でも、あれでひと区切りついたかなと思うんです。  

作家・林真理子氏「舅・姑の介護を“タダ”でする必要はない」

『野心のすすめ』の帯にも使用された29歳の林真理子氏(撮影/但馬一憲)

―― 今は本が売れない時代ですよね。

林 そう思いますよね。私も文芸家協会理事長としていろいろなところに行き「本が売れない現実を見てください」って訴えたんです。でも、私の本は売れないんだけど、売れてる人は売れてるということに最近気づきました。

例えばミステリー系など、若者の心に“刺さった”本が売れています。刺さるものが変わってきたという印象ですね。

でも、皆さんが本を読まなくなったことは確か。だって楽しいことがいっぱいあるのですから。別に本なんか読まなくたって、YouTubeで面白い動画が無料で見られるし、スマホで刺激的なニュースがたくさんやってきます。

―― 娯楽が増え過ぎてしまったことで、「これが好きだ」というものが見つけづらくなっている気がします。

林 本当にそうですね。私が学生だった頃は、ご飯を炊いてお弁当を作らなきゃダメだったわけです。「ネットで注文」なんてことはできないから、ひきこもりたい気分でも外に出なきゃいけなかった。

でも、今の若者たちはコンビニで安いものが食べられるし、ユニクロに行けば5千円で上下を揃えられるじゃないですか。スマホがあれば、ずっと何日間も暮らしていける。皆さん「準ひきこもり」みたいにして生きていますよね。

―― 「本」が生活の一部でないことは、非常に寂しいですね。

林 本当に残念です。先日、ゲームで巨万の富をつくった方が対談していました。その方に言わせると「音楽も本もしょせん一方通行じゃないですか。でもゲームは違う。お互いにやりとりできる」って。

―― 先生、それに対してどう思われたんですか。

林 むかつきました(笑)。「一方通行じゃない。読者の声をその後の作品に込めて返しているのに」…そう思いました。そこに生まれる何かがあると言いたかった。自分も何か返してるんだって言いたかったけど。まあ、むかつきましたよ。

今は介護の“過渡期”

―― 先生は日本の未来をどのように描かれていますか?

林 「未来は明るいかな」と私は思っています。今、試行錯誤であっても、行政はいろいろなことに取り組んでいます。時間が経つと、それらが“完成形”として出てくるんじゃないかと思うんです。だから、今の若者に介護が必要になる頃には、きっと良い解決策ができているのではないでしょうか。

それに、団塊の世代が一通り亡くなった後は、医療にかかるお金も少なくなってくると思いますし。

―― その財源で他の分野に投資できるということですね。

林 そうですね。それから介護に携わる外国の方たちも、もっと緩やかに日本に来られるようになるのではないでしょうか。

そのうち”終の棲家”に海外を選び、そこで介護を受けるという選択肢も出てくる気がします。「ハワイコース」や「シンガポールコース」といった感じで。介護保険も、もっと違う形になっていくのではないでしょうか。

―― 選択肢が増えることは魅力的ですね。

林 それに、今は施設がいっぱいできてきていますが、それも自然淘汰されて、良い施設だけが残る気がします。団塊の世代が亡くなったあとは施設が余って、介護職だって余る可能性もあります。

未来の介護は、ものすごくクオリティが高くなっているんじゃないかなと思うので、皆さんの未来は明るいと思う。今は“過渡期”ですね。

―― なるほど。孤独死の問題についてはどのようにお考えですか?

林 日本は、一人で死にかけている人をほっておくことはしない国で、民生委員が入るなどの手を打ちます。「見捨てられることはないので安心しましょう」と私は言いたいです。

―― 日本は「恵まれている」ということですね。

林 貧しい国のように「老人が道端で倒れている」なんてことはありませんから。地域の方とお付き合いをしていれば、見守ってくれている方がいます。「孤独死で亡くなっても気づかれない」というのは、もう本人の責任だと思います。

もし認知症になったら、そこで見える世界を伝えたい

―― 林先生は、これからもチャレンジを続けられると思いますが、最後に先生の「夢」を教えてください。

林 それはもちろん「日大」を良くすることです。今までにない大学をつくりたい。私は経営の責任者なので、教学には大きくタッチしません。でも、魅力的な大学をつくるという点では、努力できることがたくさんあると思っています。

例えば、学生から「学食が狭い」「くつろぐ場所がない」という意見が出る。そういった意見や要望に対して、早急に対策を考える。快適に学ぶことができる環境をいかに学生たちに提供できるかを考えるのが理事長の仕事です。

不祥事を払拭できるぐらいの良いニュースを作って、「日大を出て良かった」と誇りを持ってもらえるような場所にしたいですね。

それから「大学という場所には、日本という国のいろいろな体質が凝縮しているな」と考えることがあるんです。例えば、閉鎖的な環境になってしまうこともそう。その環境の中で、不祥事が行われてしまった。だからこそ、もっと世間に大学を開いていく必要があると思っています。

―― 林先生のご活躍に世間のみなさまも期待しているはずです。

林 まあ、こんなに偉そうに語っている私も、いつか認知症になってしまう可能性だってあります。でも、それはそれで仕方がないことです。

―― なぜそのように思えるんですか?

林 もしそうなったとしたら、また別の世界が見えるかもしれません。それを伝えることができます。

私の母は認知症になるのをすごく嫌がって、ジグソーパズルやクロスワードパズルを一生懸命解いていました。でも、100歳を過ぎたら認知症になってしまった。そんな母を見ているから「人間はある程度の年齢になると認知症になるものだ」と腹を括っています。

でも、まあ100歳を過ぎてからだったらいいんじゃないですかね。ボケたときにはボケたときの世界というのが、またそこで開けていくでしょう。

まあ、皆さんの歳でそんなことを考えてもしょうがないか。お仕事だからでしょうけど(笑)。

―― 心の中だけで笑っておきます(笑)。本日は貴重なお話、ありがとうございました。

作家・林真理子氏「舅・姑の介護を“タダ”でする必要はない」


人物撮影:宗野歩