2009年の発足から男性介護ネットに携わってきた津止正敏氏。会が理想とするのは「男女がともに手を携えて家族の介護を担える社会」だという。

そこにはだかる壁が、長時間労働という長らく続いてきた働き方だ。中編で津止氏が課題だと語った男性のワークライフバランスは、実際どのようにしたら実現できるのか。氏の構想に、両立への道を探す。

増え続ける働く介護者。「個人の問題」にはもうできない

みんなの介護 企業で働きながら介護している人について、津止先生はどう捉えていらっしゃいますか?

津止 平成29年の就業構造基本調査(本調査は5年ごとに行われるもので、直近のデータが平成29年版)によれば、全有業者総数66,213千人の中で介護を担っている人は3,463千人(5.2%)となっています。

50代の有業者のうち介護中の人は10人に1人を超えています(10.4%)。これに介護を終えた人、これから介護が始まる人を合わせると、かなりの高い割合で介護と関わる有業者層が存在していることがわかります。

また、同調査を介護者の中での有業者という視点で見ると、驚きの実態が見えてきます。介護者総数が約6,276千人。そのうち働いている人は約3,463千人と半数を超えました(55%) 。また、50代前半の男性介護者は総数約268千人のうち有業者は約233千人と87%という高い比率です。

介護者は多くは仕事をしているということです。

企業には、私たちが目にしている以上に、介護にかかわる人がいるはずなんです。

職場においても「介護する社員の会」のような当事者のコミュニティが求められているのではないでしょうか。その集いが年に数回ぐらいあって、そこに企業トップが顔を出して激励する。

そういった企業文化が育てば、隠す必要はなくなります。堂々と胸を張って介護していることを告げるに違いありません。社員も会社に気遣われ大切にされているという実感を持つでしょう。

―― 福利厚生として、カウンセリングなどを入れている企業もありますね。

津止 外部のカウンターパートをつくって、取り組むこともできますね。いろんなパターンでつくっていくことが大事です。

介護休業制度は職場への復帰を前提にしたものではない

―― 仕事と介護を両立させるために介護休業制度もありますが、この制度についてはどんなお考えをお持ちでしょうか?

津止 介護休業制度は国の基準ではおよそ3カ月、93日と定められています。それは、フルタイムの休暇と短時間勤務制度を合わせて93日です。

なぜこの日数になったのかご存知でしょうか。制度発足当初においては、93日が脳血管障害など急性期病状が医療処置で安定し、在宅の介護に移行するまでの目安の期間だと考えられたからです。

つまり入院している間に、これからどのように介護をしていくかという我が家の介護方針を決めるための日数と言えます。

―― 職場への復帰、仕事と介護の両立を前提にしたものではなかったということですね。

津止 そうです。もともとの目的以上に、仕事と介護の両立支援のコア施策として議論しているというのが実情ですね。

一部の大手企業は独自の制度をつくっています。例えば、最大では1,000日を超える介護介護休業を設けている企業もある。あるいは要件が無くなるまで短時間勤務を認めている企業もある。

ただ、このような制度拡充が、実際の社員の休業利用を促進し介護離職の防止に役立っているのか。そう問われれば、決してそうともいえないところにジレンマを抱えています。

―― それはなぜでしょうか?

津止 詰まるところ、社員も人事担当者も企業幹部も「何をすべきかわからない」からです。この結論は、介護事業の人材養成に関わっている鬼沢裕子さん(ベネッセコーポレーション)の調査知見によるものです。

鬼沢さんは、自身が行った企業の人事労務担当者への調査の中で「介護の問題は千差万別なので標準化できない」「何を優先して取り組めば良いのかよくわからない」という現場からの声が9割以上を占めたと指摘しています。

複雑化する介護保険制度はもちろんですが、自社の制度にも熟知する機会がない。何が利用でき、何が対象とならないのか。どこに何を相談すればいいのか。わらかないことばかりだと。

自分の会社の社員の介護実態がよくわからない。実際は、介護を担っている人が多くいるけれども、相談が人事労務に来ることもない。モデルケースが不在で、どこまで支援の備えをしなければならないのか。人事労務担当者からの迷いの声も多いと言います。

―― 人事労務に介護のことを相談できるという発想がないのかもしれません。

津止 人事労務セクションに相談することへのハードルの高さはあるでしょうね。介護問題が気軽に相談できる体制が必須なのかもしれません。

人事労務側から、わが社の支援制度にはこんなものがあり、社内にはこんな福利厚生があるということを話す。

それを一覧表にする。その上で介護保険制度と社内の支援制度をかけ合わせて仕事と介護の両立ができるケアプランをつくるということもできるかもしれません。

介護問題に苦しんでいても放置されて「社員のあなた方の自己責任ですよ」と済まされる。そんな社会になってしまうと、のたれ死ぬしかなくなってしまいます。

私たちの応援団である樋口恵子さんは「介護離職が横行するような社会は四方大損だ」と言っていました。本人や家族はもとより、会社も自治体も政府も誰一人得しない。企業は長年投じてきた社員の有益なスキルもなくしてしまう。自治体は社会保険料の納入者を、国は所得税の納入者をなくす。誰一人得しないんだということです。

―― 第153回の賢人論。でも熱く語っていただきました。

津止 樋口さんに「私たち女性は”高齢社会を良くする女性の会”をつくって、昔からこんな取り組みをやっているのに。

男のあなたは何一つしないのよね」と強く背中を押されました。「それもそうだよね」と思って、男性介護ネットを発足させることにしました。

津止正敏「仕事と介護を両立させるために、社内で気軽に相談できる体制が必要」
人間はいつの時代もケアとともにあった。それが標準とされる社会をつくるべき

江戸時代「看病願」という介護休業制度があった

―― 介護休業制度に近いものが江戸時代にはあったそうですね。

津止 京都府立資料館が毎月発行している「資料館だより」に“武士の介護休業”についての記述があったんです。そこでは、かつて明智光秀の所領地であった京都の亀岡藩の藩士の日記のことが紹介されていた。

祖母が病気で明日死ぬかもしれない状況なので、生きている間に一目顔を見てみたい。休みを願い出たのです。もっと詳しく調べてみると、過去にも江戸詰めの藩士が、同じように祖母の看病のための帰省を願い出て許されていました。

この資料がきっかけとなって近世史の関係文献を探すと、近世史の研究者・柳谷恵子さんの『江戸時代の老いと看取り』(山川出版、2011年)や『近世の女性相続と介護』(吉川光文堂、2007年)が見つかりました。そこには、亀岡藩だけでなく幕府にも各藩にも「看病願」「看病断」という今の介護休業制度のようなものがあったことが書かれていました。

江戸時代の幕府や各班の史料をもとに丁寧に検証されていました。江戸時代には先の亀岡藩だけではなくて幕府にも各藩にも当たり前のように介護休業が制度化されていました。

しかも、親や子供や配偶者の場合は、願い書を出すだけで基本的に無条件で認められていた。

祖母や祖父、叔父や叔母、兄弟は状況を見て…という感じでした。

―― 想像以上に寛大ですね。教科書では習いませんでした。

津止 殿様に「これから京に上洛するので随伴せよ」と言われたとしても、祖母の看病があるからと断ることができたという記録も残されているようです。

当時の社会は、それぞれ家が単位として機能しないと社会が維持できませんでした。だから家を維持させる仕組みが必要不可欠として存在せざるを得なかったのだと思います。武士だけでなく農工商等庶民の世界も同様だったようです。

その仕組みは「君に忠 親に孝」という儒教精神の上に成り立っていました。しかし、君の命令は絶対かのような武士たちが、父母や祖父母の介護を理由に断ることができていた。許されてもいたということのが意外な気がします。家族の介護が何よりも大切にされていたということの証のようでもあります。

―― 武士も実際に介護の実務をしていたのでしょうか?

津止 鋭い視点です。この話題を「日本ジェンダー学会第24回大会」(2020年、奈良女子大)のシンポジウムでのコメンテイターを務めた際に紹介しました。その席上で、フロアから、家長たる武士に家族介護の全責任があるということと、実務を担うということは別なんじゃないか、という質問がありました。

柳谷さんの研究知見によって、この問いにはすでに結論を得ていました。武士が介護監督だけでなく実際の介護の実務を担っていたという事実が明らかになっていたのです。遠山庄太夫(陸奥国の上級藩士)の日記の記述などからそのことがわかります。遠山庄太夫は、仕事を休んで三日間祖母の介護にあたったとありました。

江戸時代は、全体社会の構造から、徹底した女性差別がありました。「女どもに、こんなにも大事な子どものしつけや家族の介護を任せられるか」ということだったのでしょう。

それでもです。家族の介護を担うということが何よりも大事にされた時代があったこと。男性がその全責任を担っていたこと。実務は責任者たる男性だけでなく女性も一緒に手分けして担っていたこと。それがこの時代の主要な価値規範として機能していたことについては、確認しておきたいと想います。

180万年前の介護の”名残”が伝えていること

―― そうした女性蔑視の思想が根底にあったと考えると、手放しで「江戸時代は良かった」とは言えませんが、一つのヒントにはなりそうです。最後にあらためて介護のより良い未来をつくるための、津止先生のお考えをいただけますか。

津止 私は「介護のある暮らしを社会の標準に」ということを、発言機会のあるたびにずっと主張してきました。なぜそう思うに至ったかについて、少しお話したいと思います。

介護はいつから始まったのだろうか。この素朴な問いに考古学・人類学の研究が答えています。黒海の東沿岸に位置しているジョージアという国のドマニシ遺跡で見つかった老人の頭骨化石に介護の痕跡が残っていました。

その老人には歯がなかったのです。加齢によって歯が抜け落ちたとみられますが、歯槽も埋まっていたので歯が抜けた後も長い間生きていた。老人と共に暮らす人が、柔らかな食べ物を与えるなど何かと世話をしながら暮らしていたのでしょう。

いつの頃の遺跡か。なんと180万年前の私たち人類の遠い遠い祖先の遺跡だというのです。その頃から、他者を思いやるという人間らしい心も芽生えていたと考えられています。弱肉強食が当然視され、他者を出し抜いてこそ生きられるような今の主流派の社会とは随分と違うようです。(以上、NHKスペシャル制作班編『人類誕生』学研プラス、2018年)

―― ”弱肉強食”のイメージとは正反対の事実ですね。

津止 家族をつくり、仲間と力を合わせながら衣食住を確保して暮らしていたのでしょう。老いた人の経験や知恵も貴重だったに違いありません。家族の世話をしながら暮らす人たちが、人と社会の源流を成すと思うと希望にもなりませんか。

人間だから介護をするのだということ以上に、もっと進めて言えば、人間は介護を通して人間になっていったのだとさえ思うようになりました。介護がなければ私たちは今こうしてここに存在することはかったのではないか。気の遠くなるような時間軸を俯瞰しながら「生きづらいこの社会もまだまだ捨てたものではないのではないか」という思いにもなります。

この180万年前の介護の徴は「介護のある暮らしこそが社会の標準になるべきだ」という私の主張に自信を与えてくれました。

―― 人間の社会は介護とともにある。そのことが180万年前から証明されていたということですね。

津止 さらには、女性が介護することが当たり前だった社会で生まれた「男性介護者」という言葉。そんな言葉がいらなくなる日が、1日でも早く実現したらいいなと思ってきました。

私は、男性の側からこの問題を変えたい。その思いを発信していきます。男女の壁を越え、ともに手を携えて家族を支えることを目標とできるような社会にしていくことが大切だと思います。

とかく生産性が求められる社会ですが、介護すること=余計なこととならない空気をつくっていきたいです。「介護という営みは、たまたま生じたという例外的な状態ではなく、むしろ当たり前に暮らしの中にある生活のあり様だ」ということ。私に残された時間、そのことを社会の合意にしていく取り組みに注入していこうと思っています。

撮影:岩波純一

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