世界戦を制し、国内では史上2人目のグランドスラムを達成した張栩(ちょう・う)九段。無冠になってからの4年間を「悩みの多い時期」と振り返ります。
当時のお話、そして、その後の「目覚めの一手」をお届けしましょう。

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■碁が好きだと改めて思った日々

今回取り上げたのは第63回NHK杯の決勝戦で、寺山さん(怜四段)との一局です。久しぶりの優勝…本当にうれしい優勝でしたので、その碁の中から自慢の一手を選ばせていただきました。自分の流れも変える意味のある一局でもあるし、一手だったと思います。
それまでの4年間は長く、もう永遠にタイトルを取れないんじゃないかという不安も出てきますし、「まぁでも勝負の世界はこんなものかな」と自分ではある程度納得しているのですが、やはり周りの期待に応えたい。その中で期待が負担に感じることもありました。
碁に対して悩んでいる時期でもあったのです。
ひと言では言い尽くせませんが、自分の状態もよくなかった。碁への情熱も少し失いかけていました。このままではいけない、現状を打開するために思い切ったことをしなければいけないと思い、子育てのことや自分の両親のことなども含めてよく考えて、家族で台湾に生活拠点を移す決断をしました。
僕自身は、対局のあるときは日本で過ごしていましたので、日本にいる時間のほうが全然長かったのですが、台湾にもよく帰り、その間は違う生活スタイルになる。そのように少し変えてみたわけですが、結局、やはり碁が好きだということを改めて思い知った時間になりました(笑)。
台湾の棋士とたくさん交流して、早碁もたくさん打ちました。その中で自信をつけたことも、NHK杯の好調の原因なのかもしれないですね。他にも、台湾でプロを目指す子どもたちに碁を教えたり、教材を作ったり、自分がやりたかったことができて、充実した時間を過ごせたんじゃないかなと思います。
この年のNHK杯は、決勝にくるまでに、1局目も逆転の半目勝ちだった記憶がありますし、準決勝も半目勝ちでしたし、運がよかったとも思うのですが、全体的には自分の力を出せ、内容も悪くありませんでした。
寺山さんは、若い棋士の中では珍しく厚みを重視するタイプですね。地を先行されてもあまり焦らないところが特徴だと思います。


局面図までを簡単に振り返ると、白が左上でコウを仕掛けてきたのが非常によいタイミングで、そのフリカワリで白が得をし、苦戦を強いられる状況になりました。工夫を重ねていき…白64とサガった手が少し堅かったようで、形勢は五分に近い状態です。
白68まで右辺にコウを残し、右下に着目していました。部分的には、白がAのアテとBのオサエという二つの利きを決めずに残している状況に、黒は悩まされる場面です。

1図の黒1とマガりたいところです。でも、白2のアテを利かされてから白4とされると、隅の地はカラいのですが、白の形も整って厚くなり、下辺に入りにくくなってしまいます。
今すぐ入るとしたら、2図の黒1に打ち込むのが自然な手ですが、白2を利かされて白4と守られるのが嫌でした。隅の白地が大きく、打ち込んだ黒石も相手を攻めているような感じではありません。

そこで、3図の黒69とツケました。工夫をした一着です。

直前に右辺でコウを仕掛けたので、コウダテの意味も少しあるように見えますが、すぐにこのコウを解決しようというわけではないのですね。この状態にしておけば、下辺のあたりで戦いを起こして、将来的に右辺のコウを抜いたときに、一つコウダテを省略できるという意味で、軽い気持ちで打っています。

3図の黒69は石がくっついていますので、この瞬間では、4図の白1は利きません。黒2と連打され、下辺を大きく荒らされてしまうためです。

5図が実戦です。黒aのシチョウは白がよいので、白70のハネから74のツギまでとなりました。白も弱いところなので、白74でこれ以上、bなどとは頑張れません。最も自然な進行だったと思います。

 ただ、予想の中にあった進行でもありました。この形にしておくと、黒cのマガリが非常にいい手になってきます。その前に…。
6図の黒75のシチョウアタリを打ちました。白76と1回は受けることはできるのですが、黒77に受けることはできず白78と守ることになります。先手で左辺の白一子を取ればなかなか厚く、何より大事なのは、ここで待望の黒81のマガリに回れたことです。
 1図と比べて、下辺の交換は白が一手多いのですね。白78と堅めの一手で守らせた理屈です。それ以外の数手の交換も、黒はそれほど悪手になっていません。その堅めの一手の代わりに、黒は左辺を連打できたわけです。さらに先手も取れました。
黒85のツメもよい場所で、最後に黒87のコウに回りました。この一連の進行で、黒がこの碁の流れをしっかりつかんだ気がします。

■いろいろなことがプラスに

台湾での生活は、一年と少しで切り上げました。その間に子どもたちはとても成長し、家族それぞれが非常にいい状態で、気持ちもすごく前向きになり、いろいろな事がプラスに進んできている気がします。
ただ、応援してくださっている方々に大変心配をかけてしまったというところもあります。その意味でも、この優勝で、皆さんにテレビの画面を通じて少しごあいさつできたことは、すごくうれしかったです。
ここのところ、自分の碁も、碁に対する考え方も変わってきて、囲碁のことがより深く、ちょっとずつ分かってきているかなという気がしています。自分のそのイメージをしっかり盤上で表現して、自分が理想とするような美しい手を打てるように、そしてそういう手が打てれば結果もついてくると信じて頑張っていこうと思います。
最近は本当に優秀な若手がたくさん出てきて、タイトルを取るのがどんどん難しくなっていますが、僕もそれなりに自信を持っている(笑)。切磋琢磨(せっさたくま)して日本の囲碁界を強くして、盛り上げていきたいと思っています。
※この記事は2017年3月12日に放送された「シリーズ一手を語る 張栩NHK杯選手権者」を再構成したものです。
■『NHK囲碁講座』2017年6月号より