第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺。この事件は日本の授業でも必ず取り上げられ、史上最悪の出来事の一つとして世界中で知られている。
現在、侵略を試みるロシア軍と交戦を続けているウクライナのある街で事件は起こった。1941年6月、独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻したナチス・ドイツ軍。ソ連の占領下に置かれていたウクライナはその大半がドイツに占領され、9月19日には首都キエフが占拠された。 9月24日、混乱するキエフで大爆発が起きた。これはソ連秘密警察が撤退前に仕掛けた爆弾を爆破させたことによるものであったが、疑いの目はユダヤ人に向けられた。翌日、当局はキエフに住む全ユダヤ人の出頭を命じた。出頭したキエフのユダヤ人はナチス・ドイツとそれを支援したウクライナ補助警察により「バビ・ヤール渓谷」で射殺された。被害者は33,771名。


監督はウクライナ育ちの鬼才セルゲイ・ロズニツァ。ロシアを代表する作家フョードル・ドストエフスキーのショートストーリーにインスパイアされて制作した『やさしい女〈日本未公開〉』が2017年にカンヌ映画祭でパルム・ドール(最優秀作品賞)にノミネートし、ウクライナとロシアが支援するドンバス地域のドネツク人民共和国との間で発生した2010年代半ばの紛争を追った『ドンバス』が同映画祭で監督賞を受賞している。日本では2021年頃から『国葬』などのドキュメンタリー作品が「群衆」三部作として公開された。「この映画は何も説明していません。この映画の目的は説明することではありません。何が起こったのかを見せることです。この映画は質問や問題を提起します。答えは示しません。答えを与える映画を作る必要があるのか私には分かりません。私がしたいのは、理解するために、観客にその瞬間に生きてもらうことです」 監督は本作についてそう話していた(参照元:Red Carpet News TV)。



ソ連は戦後、バビ・ヤール渓谷を「ナチスによってソ連人が殺された場所」とし、ユダヤ人が標的であったことを伏せた。数々の民族から構成されるソ連は諸民族の団結が優先され、特定の民族の犠牲について触れづらい風潮があった。しかし、ソ連が崩壊した1991年ごろになるとバビ・ヤールの歴史を継承する動きが盛んになり、2020年にはバビ・ヤールに博物館を建設する表明が発表された。 しかし、現在、ロシアによるウクライナ侵攻によりこの追悼の地が脅かされている。2022年3月バビ・ヤールにあるホロコースト追悼碑の近くにロシア軍の砲弾が撃ち込まれたのだ。この攻撃による死亡者は5名。また、今後博物館として開館される予定だった建物も破壊された。 ウクライナのゼレンスキー大統領もユダヤ人である。彼はこの攻撃に対し「世界に向けて80年間、二度とこのような悲劇を繰り返さないと言い続けたバビ・ヤールの地に爆弾が落ちたとき、世界が沈黙を保つならば一体どうなるのか?少なくとも5人の命が失われた。


大虐殺の記録とともにその後の歴史的措置も記録されている本作には、大虐殺の危機から逃れた人、ナチスの命令によりユダヤ人を射殺した人など、この事件に関わり生き残った人たちの証言映像が流れる。「小さな子どもたちが『もうしません』と泣いていた。でも、殺された」 彼らはただ、ユダヤ人であることが理由で殺された。終戦から77年、バビヤール大虐殺から81年が経過した現在、戦争を体験したことがある人から当時の状態を聞くことができる機会は減り続けている。2日間で3万人以上の被害者を出した「バビヤール大虐殺」。この事件のアーカイブ映像はとても貴重な史料である。

『バビ・ヤール』
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
「ドンバス」のセルゲイ・ロズニツァ監督が、第2次世界大戦における独ソ戦の最中にウクライナの首都キエフ(現表記キーウ)郊外で起きた「バビ・ヤール大虐殺」を描いたドキュメンタリー。1941年6月、ナチス・ドイツ軍は独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻。占領下のウクライナ各地に傀儡政権を作りながら支配地域を拡大し、9月19日にはキエフを占領する。