このたび復刻された「スリップストリーム スネーク」。
プーマが自信を持つ2つのモデル
「フュージョン ニトロ」はみずから“他に類をみない”と胸を張ったフィット感を実現するフュージョンフィット、反発性とクッション性を両立させたニトロフォームというプーマ自慢のテクノロジーを搭載した一足。東京オリンピックで金メダルを獲得したアメリカのスカイラー・ディギンス・スミスとブレアナ・スチュワートが履いていたのがこのモデルだった。「コート アンド ライダー」はやはりプーマが編み出した高反発素材のライダーフォームと耐久性のあるラバーアウトソールを掛け合わせた一足で、軽量性の面でも群を抜いている。Bリーグではおなじみのモデルだ。
スパイク・リーetc. ブラックカルチャーを象徴するモデル
「スリップストリーム」はNCAAのカレッジ向けのトップモデルという位置付けで1987年にローンチされた。見どころはアンチショックシステムと呼ばれるカップインソール構造にある。ベースをポリウレタンとし、加重がかかる踏みつけ部のみEVAを充填することで安定性とクッション性を両立させた。それまでポピュラーだったラバーゾッキは安定性こそあるものの、硬度があり、クッション性には欠けていた。アンチショックシステムは文字どおり画期的なインソールだった(「スリップストリーム ロウ VTG MIJ スネーク」は街履きとしての用途を踏まえてEVA素材のカップインソールを採用している)。スネークのエンボシングレザーをまとった「スリップストリーム スネーク」はストリートでバッシュが履かれるようになったムーブメントに応えるかたちで翌1988年にローンチされた。
1988年当時のカタログ。左の「ザ・ビースト」も気になる。
背景にはスパイク・リーに代表されるブラックカルチャーの盛り上がりがあった。ストリートの気分を的確にかたちにした「スリップストリーム スネーク」は熱狂的に支持された。
プーマはブラックカルチャーの盛り上がりを足元から支えた。
日本でもカタログに載り、展示会にも並んだが、残念ながらドロップ。
野崎さん私蔵の「スリップストリーム スネーク」。
「学生だったわたしは渋谷のキャットストリートにあったレッドウッドフットウェアで手に入れました」。ストリートの流儀を重んじながらのアップデート
35周年を機にローンチされる「スリップストリーム ロウ VTG MIJ スネーク」はその歴史ではじめてローカット・モデルを採った。ハイカットよりもローカットを好む日本のカスタマーを念頭においてのことだった。レースステイの間隔を広げたこともこのモデルのこだわりだ。オリジンは研究が進んだ現代の設計思想に照らし合わせれば狭かった。
オリジン(左)に比べ、アイレットの間隔が広いのがわかるだろう。
「かつてのストリートではワンサイズ大きいスニーカーを履くのがクールでした。シューレースをぎゅっと締めて足に合わせていたんです。この履き方であればレースステイが多少窮屈でも問題ありません。

スネークレザーのエンボシングレザーは斑のサイズやバランスも忠実に再現されている。
生産は日本である。いまや世界に轟くMIJ(MADE IN JAPAN)
「プーマはその初期より日本で造ってきました。本国の方針で生産拠点は絞り込まれましたが、グローバル認可を受けた工場には継続して生産をお願いしてきました。スネークの生産を委ねているのもその工場です」(野崎さん)。斑の美しさは、革づくりから一気通貫の生産態勢を整えている工場だから可能となったものなのだ。グラマラスなシルエットもまた、日本製のプライオリティ。木型の起伏を正確に再現したそのシルエットは釣り込みに手仕事を採り入れた賜物である。
「スリップストリーム ロウ VTG MIJ スネーク」はプーマが全幅の信頼を置く日本の工場でつくられている。
「スリップストリーム ロウ VTG MIJ スネーク」はMIJに属するモデルだ。MIJはかつては匠コレクションの名で展開していたMADE IN JAPANを謳うコレクション。日本の職人技の確かさを伝えんとするコレクションである。継続は力なりを証明するような話だが、現在では本国でもなにかにつけてこの日本製を推す声が多くなっているという。
ウォルト・フレイジャーのシグネチャーモデル「プーマ クライド」。のちの「プーマ スウェード」だ。