「弊社の看板娘」とは……

この連載、インタビューの冒頭で「ご出身はどちらですか」と聞く。その際、「超田舎で」と返されるとほっこりする。
今回は石川県能美市でした。

降りたのはJR目黒駅。

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SNSマーケの「テテマーチ」で働く看板娘は、TV番組のADを経て“黒子”として活躍していた

江戸元禄時代に開かれた権之助坂を下る。


ほどなくして目黒川に到着。お目当てのビルの7階に上がるとーー。

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いました、看板娘。


さっそくご登場いただきましょう。

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「よろしくお願いします」。


こちらは企業向けSNSマーケティング支援を中心に事業を展開する「テテマーチ」の広報担当、吉田明希さん。

生まれ育った石川県能美市は九谷焼が有名。さらに、松井秀喜の出身地なので「松井秀喜ベースボールミュージアム」がある。

「ただ、うちの実家は能美市の中でもかなり田舎のほうで、いちばん近いコンビニまで徒歩だと1時間ぐらいかかるんです。
熊も出るため、登下校時は熊よけの鈴が必須でした」。

明希さんには2歳上のお兄さんがいて、子供の頃はその友達と一緒に遊んでいたという。

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現在、地元でジムのインストラクターをしているお兄さん。


「家の近くに川があって、夏はそこに飛び込んで遊んでいました。あと、小学校の裏山に登ったりとか、そんな感じですね」。

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近所の清流。


お兄さんの影響で保育園の頃から習い始めたのはトランポリン。これによって柔軟性やバランス感覚が鍛えられ、運動神経が良くなったそうだ。

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運動会の騎馬戦では大将を務めた(左の白組が明希さん)。

--{}--中学では陸上部に所属。何も知らずに入ったところ、全国大会レベルの先輩がゴロゴロいる部活だったが、必死に食らいついて練習したところ、3年生でキャプテンに抜擢された。

「陸上の実力というよりは、リーダーシップを評価してもらったんだと思います。
でも、それだと周りの強い選手がついてこない。いろいろと悩みながら、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』でマネジメントについて勉強したりしていました」。

そんな明希さんは3年生のときに足を故障する。

「よくわからないんですが、右足にもうひとつくるぶしのような突起ができまして。日常生活に支障はないんですが走り込むと痛い。だから、プレーヤーの道はあきらめて、高校の陸上部では選手じゃなくてマネージャーに専念しました」。

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ほんとだ、下にもうひとつの隆起がありますね。


それほど強いチームではなかったが、明希さんの在学中にインターハイに出るほどの実力になった。

「マネージャーはサボろうと思ったらいくらでもサボれますよね。でも、選手が頑張っている姿を近くで見ていると、一緒に頑張りたいと思って。自分なりの目標を立てて、石川県の陸上部でいちばんのマネージャーを目指していました」。

放課後、練習の競技場に着いたら部員のドリンクを用意。
棒高跳びの重いマットもひとりで設置する。マッサージや筋トレの知識も身に付け、最終的に顧問の先生と練習メニューを考えるまでに成長した。

「『県内でいちばんのマネージャーになる』とかは誰にも言ってなかったんですが、卒業式のあとの懇親会で、選手から『明希ちゃんは県内でいちばんのマネージャーだった』と言ってもらって泣きました」。

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石川県の陸上高校総体にて(中段左端が明希さん)。


高校卒業後は上京して放送系の専門学校に入学。子供の頃に大好きだった『はねるのトびら』や『ヘキサゴン』などのような面白いテレビ番組を作りたかったのだ。

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生放送の中継をする授業を受ける明希さん(いちばん左)。


上京後のアルバイトは麹町のカフェ。日テレの旧社屋が近くにあったため、芸能人もしばしば訪れる。「東京ってすごいなあ」と思いながら働いていた。

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仲が良かったバイト仲間たちと(左端が明希さん)。


専門学校を卒業後は大手制作会社に就職。
念願だったテレビ番組のADとして寝る間もなく働く。

「ADの仕事は多岐にわたるんです。番組の企画を考えて、ロケに行って撮影して、編集して、納品、これを全部やっていました。1週間、家に帰れないということも普通ですね」。

ADはひとり1企画担当するのが通例だが、明希さんの働きぶりが上層部に知れ渡り、どんどん声がかかる。ピーク時には4、5本の企画を同時進行で担当していたそうだ。

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料理系の番組企画で手タレとして出演中。


転機が訪れたのはコロナ直前に訪れたインドロケだった。

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火のついたお菓子、「ファイヤーパーン」を食べる明希さん。


明希さんは、この番組の公式Twitterの立ち上げを担当する。テレビは視聴率の縛りから逃れられないが、SNSは番組のファンと密にやりとりできるのが魅力だった。

「ADとして3年間働いて、正直、やりきったなという気持ちもありました。
同時に、SNSの可能性も知ったので、去年の4月にテテマーチに転職したんです」。

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入社直後にオフィスで仕事をするシーン。


「陸上部のマネージャーもテレビ番組のADも裏方というか黒子というか、そういうのが自分に向いている」という明希さんを推薦してくれたのは、プランナーの川又潤子さん。御社の看板娘、いかがですか?

「私は『lookey(ルーキー)』というZ世代向けのマーケティングを研究しているんですが、明希さんはその広報だけでなく、いろいろな取材を獲得してくれています。ベンチャー企業の広報は『私が私が』と前に出る人が多いけど、彼女はあくまでも黒子に徹して、しかも仕事ができるという素晴らしい人」。

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「情報をキャッチアップする能力がすごい」と川又さん。


推薦人からナイスなコメントをいただいたところで、明希さんに社内を案内してもらった。

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集中して仕事ができる個人ブース。


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月に1回終業後に上田代表が開催する「Bar上田」で飲むお酒も充実。


お気に入りの目黒グルメはガヤガヤ系の居酒屋、「めぐろの安兵衛」の餃子。

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サイズが小さめで皮がパリパリしていて美味しいそうです。


最近ハマっているのはクラフトビール。


SNSマーケの「テテマーチ」で働く看板娘は、TV番組のADを経て“黒子”として活躍していた

柑橘系でさっぱり飲める味。野毛の「HITSUJI」。


テレビ番組のADからSNS業界に転職した明希さん。同僚から厚い信頼を寄せられていました。

最後に読者へのメッセージをお願いします。

SNSマーケの「テテマーチ」で働く看板娘は、TV番組のADを経て“黒子”として活躍していた

テテマーチのスローガンは「ワクワクを科学する」。



[取材協力]
テテマーチ
https://tetemarche.co.jp

lookey
https://tetemarche.co.jp/lookey/
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