>連載「37.5歳の人生スナップ」を読む

「手にガムテープで受話器をぐるぐる巻きにくっつけられて、とにかく1日中営業の電話をかけ続ける。そんなマンガみたいなことが本当にあるんですよ(笑)」。

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「誠不動産」代表の鈴木 誠さん(42歳)は、不動産営業に勤しんでいた過去の苦い経験をこう振り返る。

恵比寿駅から徒歩数分という抜群の立地にある「誠不動産」はダークブラウンで揃えられた調度品と背後に流れるジャズによって、まるでカフェのような落ち着いた空間だ。鈴木さん以外にアシスタントは1人。基本的に内見から契約まで、業務のほとんどを社長自らこなすという。鈴木さんの1日は事務所の清掃作業から始まる。

「朝5時55分に起きて、会社に着くのは7時15分。必ず玄関とトイレの掃除を入念に行って、仕事をスタートします」。

悪徳不動産業者で働いていた男が、“正直不動産”屋になるまで
屋号であり、自身の名前でもある「誠」の字が、額縁に入り飾られている。(武田双雲作)

掃除によって、運も開ける。運が良くなければ、いい物件にも出合えない。鈴木さんはそう考えていた。

「物件との出合いは運ですから。お客さんが絶対に喜ぶ物件を紹介するためにできることは全部したい。

よく物件探しには妥協も必要か?と聞かれますが、住まい探しって恋人探しと同じだと思うんです。住まいによって人生は大きく変わるし、最初から妥協して決めたら絶対に満足いかないんじゃないかな」。

誠不動産が面白いのは、一見さんお断りの営業スタイルにある。“完全紹介制”……不動産屋では珍しいその姿勢が注目を集め、現在ではテレビのゴールデン番組での不動産企画の物件紹介や、以前オーシャンズでも紹介した不動産系漫画(過去記事はコチラ)への協力も行なっている。

悪徳不動産業者で働いていた男が、“正直不動産”屋になるまで
最近、著書も出版。口コミも相まってファンを増やし続けている。

なぜ完全紹介制なのかは後述するとして、自衛官、アパレル、そして不動産とさまざまな仕事を経験してきたという鈴木さんが、今のスタイルに行きつくまでの話を聞いた。


「楽しそう」なことは何でもやった20代前半

高校卒業後、自衛隊に入隊。体を動かすのが得意で、家族や親戚も公務員だったことから自然な流れだったという。とはいえ、記憶にはなかったものの幼稚園の文集で「将来の夢は、じえいたい」と書いていたというから、はからずも幼き頃の夢を叶えたことになる。

悪徳不動産業者で働いていた男が、“正直不動産”屋になるまで

「射撃訓練で丸2日間芝生の上に座っていたのが、19歳のとき。そのとき、自分何してるんだろうって(笑)。自衛隊の生活は楽しかったのですが、周りはみんな大学生活を謳歌していて……自分もいろんなことをしたいと強い憧れが芽生えていました」。

洋服が好きだったため、自衛隊に勤めながらも夜間の服飾専門学校へ通った。しかし、1年もしてバカらしくなってしまったという。

「自衛官として1週間山にこもらなければならない時期があったりして、課題を1つも完成させられなかった。中途半端なのはイヤなので、自衛隊も専門学校も1年で辞めました」。

その後、アパレル店員に転身。当時はまっていたクラブで夜はダブルワークをするなど、じつに好奇心に忠実だった。

「アパレルのお客さんがニューヨークに住んでいる人と友達で、話を聞いていたらめちゃくちゃ楽しそうだったので自分も2カ月後には仕事を辞めて、海外留学へ行ったり(笑)。楽しそうって思うと、すぐそっちに興味が向いちゃうんですよね」。

1年の海外生活の末に帰国。代官山にショップがある有名アパレルブランドに就職し、落ち着いた頃には25歳になっていた。その頃、販売店員の給与の低さに辟易し、人生を見つめ直し始める。

「社員割引が効くとはいえ洋服の購入代を引くと手取り12万円。さすがにキツいな……と思って部長に給与交渉をしたら断られたので、じゃあ辞めよう!って」。

気持ちいいほどの即断即決。

迷いがないのは鈴木さんの特徴でもある。迷ったら楽しいほうを選ぶ。それが鈴木さんの行動指針だ。

「どんな結果になったとしても、人生は選択した自分の責任。それなら楽しいほうを選ぶほうがいいかなと思っています」。


不動産業の悪癖に染まっていった20代後半

給与への不満から転職を決めた鈴木さんは“年収1500万”という文句に目をとめ、不動産屋に転職を決めた。

「入社して数時間で、年収1500万円をもらっている人はこの会社にはいない、とすぐに気づきましたけどね(笑)。片っ端から知らない番号に電話をかけて、家を購入しないかと営業する仕事でした。どんどん新しい人は入社するけど、そのぶん辞めて行くのも早かった」。

冒頭の”電話ぐるぐる巻き”も、その頃の経験だ。15人ぐらいいた同期は、気づいたらみんな辞めていた。仕事はキツかったがそれでも鈴木さんは簡単に諦めたくなかったという。その後、販売から賃貸の部門に異動し、業界のあくどい慣習に染まってしまう。

「悪い不動産屋って本当にいるんですよ。礼金を1カ月から2カ月に書き換えたり、駅徒歩8分を5分にしたり、賃料7万8000円の物件を8万円にして『今なら2000円下げられますよ』とか……あの頃はなんでもありでした」。

その一方で、不動産の仕事は成績が収入にも直結する。それは求めていた手応えでもあったという。

「悪いことをやっていると理解していたけど、やらないと給与が上がらない。これは偶然なんですけど、ノルマをクリアしなかった場合、アパレル時代と同じで給料は12万円なんです。当時は収入のために必死でした」。

悪い物件でもお構いなしに紹介し、成績が上がるにつれて、トップになりたいという欲が生まれ、さらに夢中になった。成績は常に1位、2位をキープしていたという。

「事前に物件のマイナス情報を伝えておいて期待値を下げ、実際に見たときの心証を良くしたり、ほかの契約が決まりそうな素振りを見せてお客さまを焦らせたりしていました」。

それは現在もきっと不動産屋で使われているであろう、心理的テクニックのひとつ。鈴木さんはそんなやり方にどこか疑問を感じながらも心に蓋をしていた。


無責任な発言をきっかけに、本当の不動産業と出会った

気持ちに変化が訪れたのは、数社の不動産会社を渡り歩き、30歳を目前に物件の管理部門に異動したときのこと。デスクワークが性にあわず、気分転換に……と思ってお客さんの内見に付き添うことにした。そのときは営業成績と関係がない部署のため、物件に対する正直な気持ちをお客さんと共有したという。

「狭いとか汚いとか言いたい放題(笑)。悪いところは悪い、良い物件のときは素直に良い! と伝えました。そうしたらお客さんがいままでにないくらい喜んで、感謝してくれて、良い仕事ってこういうことか……と妙に納得したというか」。

不動産業界に入っておよそ5年、やっと収入面以外でのやりがいを見つけた。“いい仕事がしたい”という欲求は、30代になる鈴木さんを独立に駆り立てた。

「どの不動産屋に行っても大して状況が変わらないなら、自分で良い不動産屋を開こうと思いました。戦略は特にありません(笑)。ただ来ていただいたお客さまにいい物件をご紹介して楽しく幸せになっていただきたい。それだけを考えました」。

32歳で立ち上げた誠不動産。もうすぐ独立して10年になる。目の前のお客さまに本気で向き合う、誠実をモットーにした不動産として自身の名前をつけた。

鈴木さん自ら部屋探しに内見にと奔走すると、当然、月に対応できるのは限られた人数だ。そのぶん完全紹介制にすることで丁寧な仕事が可能となる。

「一人ひとりのお部屋探しにじっくり時間と気持ちを割きたい。でも、これまでと同じやり方では変わらないと思って、完全紹介制とさせていただきました」。

驚いたのは創業以来、売上や平均来客数、単価などの数字を何もつけていないということ。数字やお金に振り回されるのでは、独立した意味がないと思い、意図的に記録していないのだという。

「やっているのは通帳残高の確認ぐらい(笑)。割とノープランでここまできましたけど、楽しいことをし続けていると人生って意外と何とかなるもんですよ」。

誠不動産に入ってすぐ目の前に飾られた、立派な誠の文字。名前に恥じない仕事をする。その矜持が鈴木さんの表情を輝かせていた。

鈴木さん著書
『奇跡の不動産屋が教える幸運が舞い込む部屋探しの秘密』鈴木 誠(朝日新聞出版)
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=20758

藤野ゆり(清談社)=取材・文

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