>連載「37.5歳の人生スナップ」を読む
オーストラリア初のプロ・サイクリング・ロードレースチーム「オリカ・グリーンエッジ」誕生からの軌跡を追ったドキュメンタリー映画『栄光のマイヨジョーヌ』が2月28日(金)に公開された。
このチームでベテランとして活躍し、2016年、クラシックレースの「パリ~ルーベ」で、37歳356日で初優勝を飾ったのがオーストラリア人のサイクリスト、マシュー・ヘイマンだ。

異例づくしの優勝だった。5週間前に起こったケガからの復活、歴代3番目となる高年齢、そしてエースではなくアシスト役というポジション。数々のハードルを超えて、彼は優勝を成し遂げた。
チームのためのアシスト役、という選択
オーストラリア出身のプロサイクリストは多いが、2012年までオーストラリアにはプロチームは存在せず、マシューはプロになるべく18歳でベルギーに渡った。2000年、20歳でオランダのチーム「ラボバンク(現ユンボ・ヴィスマ)」で念願のプロ入りを果たすと、その後、イギリスの「チーム・スカイ(現チーム・イネオス)」を経て、母国の「オリカ・グリーンエッジ」に入団する。

「ラボバンクは、ハードワークが求められる、いかにも伝統的なヨーロッパのチーム。対してチーム・スカイはスポーツサイエンスやサイコロジストなど最先端の欧米式システムを取り入れていて、とても機能的でした。ところが、グリーンエッジはほかのトップチームとはまったくタイプが違う。エンターテインメントビジネスのオーナーが手掛けていることもあって、笑いあり、ジョークあり。オーストラリア人のユニークさを表現しているチームですね」。
マシューがこう言うように、オリカ・グリーンエッジのエンターテインメント戦略は革新的だった。
YouTubeに「Backstage Pass」というコーナーを開設し、レースの結果だけでなく、選手たちが口パクで歌う動画など、まさにバックステージなコンテンツを配信。結果が求められるシビアなツアー中でもお構いなく、ビデオは回され続けた。

「誰かがこんなダンスをしていたとか、こんなジョークを言っていたとか、ストイックなアスリートとしてではない姿を見てもらえることはすごく楽しかったね」。
ロードレースは個人競技である一方、チーム競技でもある。エースを優勝させるべく自分が風よけになったり、ドリンクや補給食を運ぶアシスト役は、チームには欠かせない存在であり、マシューはまさしく好アシストとしてチームに貢献した。
長い競技人生で優勝をしたのは「パリ~ルーベ」の1度のみというのも、彼がいかに献身的にチームを支えてきたかを物語っている。
アシスト役の葛藤、この世の終わりを感じたケガ
しかし、アシスト役としての競技人生において、自分もトップを狙いたいとは思わなかったのだろうか。

「それに関しては相反する2つの気持ちがあります。例えばサッカーなら点を決めるのはフォワードで、ディフェンスは地道にゴールを守る存在。野球でもピッチャーは一人で、ほかのメンバーは彼をアシストする立場にある。
自分の仕事のベストを尽くすという意味では、アシストに回ることは当然の役割です。なぜなら僕はほかの選手の方が実力があると思っていたし、キャリアを長く努めたいと考えたときに、アシストというポジションは最適だと感じたから。
ただ一方で、自分が勝ちたいという思いも、実はありました。だからこそ、キャリアの中で唯一の優勝である『パリ~ルーベ』が誇りなんです」。
“誇り”だとマシューが語る「パリ~ルーベ」は、全長260km。
その代名詞となるのが約55kmにも及ぶ石畳区間だ。晴天ならば土埃が舞い、雨天なら泥まみれになる。ラフに敷き詰められた大きな石畳は、常にパンクや転倒の危険があり、選手を苦しめる。

「すごく危険な一方でほかの選手よりも楽に走れている感覚があって、僕のフィジカルにはすごく合っていた。260km絶えず要求される集中力とコース戦略など、タフなメンタルが必要なところも僕に向いているんです。だから、何度もいいところまでいっていたんですが……それでも勝てないレースでした」。
2016年の「パリ~ルーベ」に向けて、マシューの仕上がりは順調だった。南アフリカでのトレーニングやハードワークを積み、今年こそは行けるのではないかという期待もあった。年齢的に残りのチャンスは多くないと、この年にかける思いも強かった。
ところが、5週間前のレースで右腕橈骨を骨折。その後に予定していたレースはすべて白紙となった。
「この世の終わりかと思うぐらいショックでした。もう終わったと思いましたね」。
失意のなか、支えてくれた仲間の存在
それでもマシューは諦めなかった。チームから離れ、ひとり自宅のガレージで黙々とトレーニングを始めたのだ。

「最初の日は、壁を前にラジオを聴きながらローラー台に乗ったんだけど、すごい暗い気持ちになってしまって。20分で嫌になってしまった」。
そこで取り入れたのが屋内サイクリングアプリの「Zwift(ズイフト)」。アマ・プロを問わずに世界中からレーサーが集まり、バーチャルコースでレースをしたり、チームを組んでライディングができる。オンラインゲーム的要素も強い。
「このアプリのおかげですごく気分が変わって、1時間でも2時間でも走れるようになった。1日2回、4週間トレーニングをすることができました」。
とはいえ、レースに出れる確証はなかった。
「モチベーションがすごく高まった翌日には、治るかもわからないのに暗いガレージで僕は何をやっているんだろうと落ち込む日もあって。

その気持ちを奮い立たせたのは「大好きな『パリ~ルーベ』を走りたい」という強い思いだった。
「励ましてくれるトレーナーや、相談に乗ってくれた妻の存在も、もう1回チャレンジしようという思いを後押ししてくれました」。
大会1週間前、マシューは初めて、チームのスポーツディレクターにレースへの出場意思を伝えた。テストライドでは骨折した右腕の調子も良く、「いける!」という手応えもあった。
「チームドクターやコーチは『どうだろう?』という反応でしたが、経験にもなるし、テスト的に走ってみたらということになったんです」。
周囲からの期待はまったくなかった。マシュー自身も「走れることが嬉しかったし、コースをエンジョイしよう」という気持ちで臨んだレースだった。
だが、そのリラックスした状態が結果的には勝利へとつながった。トップ集団から一度は遅れたものの、追いついたラスト10km。

「ところが、ここからもう1度、チャージしていくぞ!となったときに周りにチームメイトがいなかったんです。もしあそこにアシストすべき人がいたら、いつものように僕はアシスト役に回っていたでしょう」。
アシスト役が夢を叶えた瞬間
トップ集団の状況をマシューは冷静に分析をしていた。
「トップ集団には過去4回『パリ~ルーベ』で優勝している選手もいました。ただ、彼の方が実力は上だけど、彼も含めて、ほかの選手はみんな疲れていると感じたです。ここで初めて、もしかしたらいけるんじゃないか、これは自分の夢なんだから行くっきゃない! と集中力が増したんです」。
最後までギリギリの攻防を繰り広げたマシュー自身、ゴール直後は優勝を信じることができなかった。映画でも「ローラー台でトレーニングをしていただけなのに!」と驚く姿が映し出されている。
「ほかの選手が毎日のように戦っていた5週間、僕はケガでレースから遠ざかっていたので、『パリ~ルーベ』を走ることがすごく新鮮に感じられた。そういうメンタルで臨めたのが、勝利の理由じゃないかと思います」。

30代後半ともなれば、体力の衰えを感じることも多々ある。それだけにベテランの快挙は、大きな刺激を与えてくれる。
「若いというのは素晴らしいし、エネルギッシュな時代はベストだったと思う。だけど、年をとってくるとエネルギーをコントロールできるようになってくる。
体力は落ちたとしても、年をとってからの方がレースに賢く臨めると思うし、若い選手や周囲からリスペクトされる経験値を持っていることも、ベテランのいいところです。
そして、そういうナレッジや経験値を若い世代に伝えていくということも大事だと思っています」。
多くの逆境を跳ね返して掴み取った栄冠は、年齢や状況に捉われず、自分の好きなことに対するパッションの大切さを教えてくれる。最後にマシューはこう言った。
「“Always keep riding”。常に走り続けろ、今でも僕は自分にそう言い聞かせているんです」。

『栄光のマイヨジョーヌ』
2月28日(金)より新宿ピカデリー、なんばパークスほか、全国順次公開
公式サイト
林田順子=取材・文